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2016-05-23(Mon)

「バベル」

「バベル」

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品。
イニャリトゥ祭りの一環でやっていたので視聴。
2006年の作品なんだね。
三つの場所で進行する、四組の家族のドラマ。
バラバラの場所で起きた事件や日常は細い糸でつながっていて、
これが神の下した罰なのだな……と最後はしんみりする一本でした。

モロッコで旅行中のアメリカ人夫婦を
ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットが。
日本のとある親子を、役所広司と菊地凛子が演じております。

舞台はモロッコ、メキシコ、日本の三か所。

モロッコでは、旅行中のアメリカ人夫婦のうち、
妻のスーザンが狙撃される事件が発生。
この夫婦と、狙撃してしまった少年たちの家族の物語が進みます。

メキシコでは、モロッコ旅行中の二人の子供のベビーシッターである
アメリアが息子の結婚式に行き、てんやわんや。

日本では、聾唖の女子高校生千恵子の葛藤が描かれる。

リチャードとスーザンは子供を置いて旅をしていたら、
銃の試し撃ちをしていた兄弟の、弟が撃った弾に打ち抜かれ、
満足な治療も受けられず、国同士の牽制なんかもあって
すぐに手が差し伸べられずに、果たして生きて帰れるのか、
また、遊び半分で銃を扱った兄弟とその父親が
警察に追われる様子も描かれます。
一緒にバスに乗っていたほかの観光客たちとも足並みがそろわず、
リチャードもスーザンも窮地に追い込まれてしまうという流れ。

メキシコ編は、リチャードとスーザンが予定通りにもどってこられず、
本当なら休みを取れるはずだった息子の結婚式の日に、
アメリアはやむを得ず、子供たちを連れて国境を越えてしまうという流れ。
代わりに来てくれる誰かがいなくて、とにかく頼むよと押し切られ、
仕方なく最後の手段だと、二人のかわいい子供たちを連れて行っちゃうんですが、
その帰り道、少しばかり酒の入った甥に運転を頼んだばっかりに
無理な国境越えからの砂漠へ放り出され、炎天下でさまようという
非常に恐ろしい展開に。

そして一見無関係に見える日本。
聾唖の少女千恵子の、いらだちに満ちた日常が描かれます。
学校に通い、友達もいて、時にはイケイケで遊ぶ千恵子ですが、
非常にイライラしていて、心配してくれる父親へのあたりも強い。
それがなぜなのか、少しずつわかっていきますが、
ここが一番難解かもしれない。

タイトルの「バベル」は、旧約聖書に出てくるバベルの塔から。
要約すると、
人間が神に迫ろうと高い高い塔を建て、神はそれに怒ってズバーンと。
ズバーンとされた人間たちは、言葉が通じなくなってしまう。
それまでは同じ言葉を使い、同じ思想で暮らしていた人たちが、
違う言葉をもって世界へ散っていった、
みたいな内容になります。

今も世界は、違う国、違う人種、違う言語、違う風習、違う法律、違う文化で満ち溢れています。
神の下した罰は今もなお続いていて、世界が一つの理想に集約される日は来そうにありません。

この映画が言いたいのは、違う習慣、違う言葉に人々のコミュニケーションが阻害されているということ。
それから、阻害されながら、行き違いがありながらも、人々は心を通わせられるのだということだと感じました。


モロッコを舞台にしたリチャードとスーザン夫妻が見舞われる不幸は、
単純に言語や文化、国の違いによる苦労を描いております。

メキシコは、ほんの少し違った場所に生まれただけで
こんなにも扱いが違うことへの苦悩が描かれているかと思いました。
アメリカとメキシコの国境付近での争いや、取り締まり、不法な入国に関する問題は
メキシコ側の人たちからすると苦しいものなのだろうなと。
もちろん、アメリカ側の意見もわかる。けれどどう見ても、一方が上で一方が下になっている。

とんで日本では、もう少し複雑な心情が描かれております。
日本での主人公の千恵子は、聾唖でしゃべれず、イケてる女子高生になりたいのになれない。
かっこいい男の子に目をつけられても、障碍がわかった瞬間彼らは潮のように引いていく。
あ、そうですか。俺たちとは違う世界のヒトなんすね、みたいに。
それが悲しくて寂しく、悔しく、腹立たしくて、
さらには、彼女には守ってくれる父親がいるけれど、
母親は亡くしたばかりなんですよね。
しかも、自殺していなくなってしまった。

千恵子の母親が死んだ理由は語られませんでしたが、
親が自ら死を選び、残された場合、子供は傷つくと思います。
自分への愛はなかったのか。一緒に生きていってもらえなかったのか。
自分という人間の価値を大きく揺るがせる、あまりにも悲しい要素になるのではないかと思うのです。

千恵子は若い女の子らしい遊びに興じるものの、
同じ年の健康な子とまったく同じというわけにはいかず、
それにずっといらだち、悲しんでいるように見受けられました。
見た目の良さも足かせになったのかなと、思うんです。
彼女はたぶん、トモダチよりも自分の方がきれいだと感付いていて、
それなのに選ばれないという、こちらも価値観を揺らす原因になっているのかなと。
それに加えて、自分を大切にしてくれる父への愛憎もあって、
母が死んだ理由は、父が銃を持っていたからではないのかな、というのもあり、
大事にしてくれるけれど、年齢的なものもあって素直になれず、
めちゃくちゃに乱れて女になってしまいたいけれど、
父のことを思うと、そこまで堕ちてしまいたくもない、
そんな思春期の混沌が、千恵子の中に詰まって詰まって、
最後に爆発してああなったのかなあって。

最後に刑事さんに渡したメモにはなにが書かれていたのか。
あの表情からすると、彼女のさみしい胸の内だったのかなと思わなくもありません。
あんな真似をしてごめんなさい、だけど耐えられない、みたいな内容だったんじゃないかと
思ったりしました。

親子は手を取り、父は娘を抱きしめる。
お互いに妻と母を失った悲しみから立ち直る第一歩だったんだろうな、で終わり。


小難しい日本編の話ばっかりになっちゃったなあ。

結局、撃たれたスーザンはぎりぎりで助かる。
撃ってしまった少年は警察に追い詰められ、兄を失ってようやく真実を語りだす。
預かった子供と砂漠に放り出されたアメリアは、
子供たちとともになんとか助かるけれど、メキシコへ送り返されて仕事を失う。

世界にはたくさんの日常と、たくさんの事件があって、
それがすべて複雑に絡み合い、遠い世界のほんの些細な出来事が
思わぬところまで影響を及ぼしていて、
人間はそれに時には正しい心で、時には間違いながら、
命続く限り生きていくんだよとかそういう感じなのかな。

これが世界のあり方だと、監督はいいたいのかもしれません。
そう考えられない場合、この映画はちょっと長いだけの駄作になるだろうなーって
そんな風に思いました。見ていて胸が痛くなる映画でございました。
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