ELLEの編集長であったジャン=ドミニク・ボビーの書いた自伝を映画化したもの。
公式サイトには「愛の感動作」って書いてあるけど、
愛の感動作ではないと思います。これは。
もちろん、ジャン=ドーを救ったのは愛なんですけども、
本当に彼を救ったのは間違いなく、彼自身の強さだったと思うので。
目覚めると、視界が歪んで体が動かず、声も出せない。
突然の病で突如体の自由を失ったものの、意識ははっきりしている。
動かせるのは唯一、左目だけ。
そんな絶望に沈んだところから、なんとか希望を見出して自伝を書き上げるまで、
ジャン=ドミニクのたどった過酷な運命について描かれています。
意志ははっきり残っているのに体がまったく動かない、
ロックトインシンドローム(閉じ込め症候群)に陥ってしまったという悲劇。
人は自分の命とどう向き合い、折り合いをつけていくのか、
経緯が丁寧に描かれていたなあと思います。
治らない病になってしまったのとは違う、
体の一部を失ってしまったわけでもない。
充実した人生を歩んできて、仕事も地位もあり、家族もあったのに、
突然肉体だけを失ってしまう。
自分から命を絶てもせず、周囲から暖かい言葉ばかりを投げられ、
自暴自棄になることすら許されない状況って、凄まじいものがあると思います。
こうなると、ゆっくりと立ち直るしかないわけで。
たくさんあきらめて、たくさん思い直して、たくさん心で舌打ちをして、
最後には自分の才能を諦めず、瞬きだけで言葉を綴っていくっていう。
あらすじとか細かいことは書きたくないです。
もし興味がわいたなら、実際に見た方がよいとおもいますので。
最近障碍児についていろいろと意見が飛び交っておりましたが、
出生前診断については当事者の判断にゆだねるとして、
人間ってなんだかんだ不完全で、ちょっとしたことで体が動かなくなったり、
機能が失われたりするんですよね。
病気だけではなく、ケガ、事故、どんなに気を付けていても、誰かの油断とか天災で、
どうにもならないことってあると思うんです。
私の家族にも、病気で突然体の自由を失った人間がおります。
毎日車いすを押していると、好奇の目に晒されたり、やたらと憐れまれたり、
思わぬ親切を受けたり、本当にいろいろ起きるんですよね。
当事者ではありませんが、そばにいる人間としてどうしても考えさせられます。
健康に生まれて、健康に生きていても、明日どうなっているかわからない。
いつ誰の世話になるかわからないんだから、
障碍者を受け入れるっていうのは、
将来の自分を守ることにつながるんじゃないかなと、思います。
周囲にある、煩わしいと思える存在に、ほんの少しでもいいから
理解を持とうと思って生きていくべきなんじゃないすかね……。
最近はなんでも便利になって、即席、速攻の世の中ですけど、
面倒なもの、自分とは違うものを全部排除していったら、
世界はもっと殺伐とするんじゃないでしょうか。
なんてことまで考えてしまいました。
井上雄彦先生の「リアル」でも、人生の途中で障碍を負った人たちがよく描かれています。
見てよかったとしみじみ思える映画でした。
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