2015年の、アメリカの作品。
ジョナ・ヒルとジェームス・フランコってことで
ドあほな話かと思ってたら違ってたというか別の作品と勘違いしておりました。
ジョナ・ヒル演じる主人公のフィンケルはニューヨーク・タイムズの記者だったんだけど
内容をよりドラマチックにしたいという思いからか、記事を捏造してしまう。
それはすぐにバレて失職。
なんとか復活しようとネタを探していると、
自分の名を語ったという殺人犯の話が舞い込んでくる。
妻と三人の子供たちを殺したというロンゴと接見し、
心を通わせていくフィンケル。
自分たちは似ている、真に通じあえている。
無実を信じ、彼の物語を書き上げよう……なんて思っていたら
ロンゴの話はなにが真実でなにがウソなのかわからなくなっていって、
という話。
あけましておめでとう映画にしては重たかったなーって印象。
邦画だったら「凶悪」、洋画だったら「カポーティ」を彷彿とさせる作品でした。
詳しく話を聞いて、自分だけに打ち明けてくれているんだと感じたり、
すべてを世間に公表しなければ、それができるのは自分だけなんだと
特別な使命感に駆られていくうちに精神的に危うくなる、
っていうのは万国共通の話なのかもしれません。
共感というのは人間に必要な力かもしれませんが、
自分に起きた出来事だってなにもかもが真実なのかどうかわからないくらいなのにね、
他人の話が全部本当だなんて、というかそもそも、
すべての事象に正解があるかどうかなんてわかりゃしないのがこの世界ですから
思い入れが強くなればなるほどバランスは崩れていって
とてもあてにできないものになってしまうのだなあなんて思いましたよ。
だけど、なんとか記者として蘇りたいフィンケルは
その気持ちを利用され、翻弄されてしまいます。
そんな考え方をする男なんだと記事から見抜かれちゃっていたのかも。
悪意を持て余した男の、気まぐれな遊び。
そんな人間がこの世にいるんだっていう、恐ろしい話でした。実話だし。
その後記事を書けなくなったというのは、カポーティとおなじ。
信頼できなくなったんだろうなあって思います。
言葉も会話も、自分の思いが直接、間違いなく伝わることはありません。
受け取り手によってすべて違う。
その場で消えてしまう声は、訂正がきかないし、
その後まで残り続けてしまう文字は、なかったことにはできないし。
伝えるって勇気のいる仕事だよね……。と、しみじみしました。
あとは、書き忘れていたけど「ドリームホーム 99%を操る男たち」も見ました。
こちらはアメリカの住宅事情、特にリーマン・ショック後に起きた
住宅ローンを支払えずに家を差し押さえられた人たち続出現象について。
とてもシビアな追い出され方をされるという悲劇と
本当にお金を持っている一部の人たちだけが甘い汁を吸っていたんだよ
っていうとても厳しい現実を描いたサスペンスでした。
会社をクビになった時なんかもすんごいシビアな印象のアメリカですが
(外資の会社なら日本国内でも大変そうなんだけど)
家を追い出されるときはもっと厳しい。警官が来て追い出されちゃうし。
日本って優しいのな……って思いました(本当に図々しい人相手にはやきもきしますけど)。
結局この世は金と知恵……みたいな無常観漂う映画。
アメリカの経済、ローン、住宅事情も知っていればもっとこの無常を味わえるかも。
次はそろそろ「オデッセイ」みようかな!
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