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2016-04-08(Fri)

「八日目」

「八日目」

1996年フランス映画。

タイトルの八日目は、聖書からきたもの。
神が世界を作るのに、七日かけるんですよね。
「光あれ」から始まって、大地と海と、人間を作って、七日目はお休み。
だから一週間は七日で、日曜日は安息日なんですが、
タイトルの「八日目」で作られたのは本作の主人公というか
なんでしょうね。人生における「不幸」をさすのかな。

神に作られた最初の人間であるアダムと、
その妻であるイブは、言いつけを破ったせいで
エデンの園を追われます。
満ち足りた楽園から追い出され、そこからは
ありとあらゆる苦難が二人を待っているぞと。


この映画の主人公は二人。
妻と娘に出て行かれた仕事人間のアリーと、
ダウン症の青年ジョルジュです。

アリーは娘たちと妻を愛しているのに、
うまくやれなくて、仕事に追われすぎて、
とうとう愛想をつかされ「来ないでくれ」と言われたところ。

ジョルジュは、窮屈で自由がなくて楽しくない施設がイヤで、
大好きなママのところに帰ろうと飛び出してしまったところ。

行き詰ったアリーは休暇をとろうと車を走らせていて、
うっかりジョルジュの犬を轢いてしまう。
車に乗せて、目的地へ送ろうとするも、
ジョルジュはちょっとばかり頑固でいうことを聞かない。
そこから始まる、二人の不思議な旅の話です。



この映画ほど、見る人によって印象が違うものもないんじゃないかな。
まず、ダウン症の家族がいる人は、辛いと思います。
なんらかの障害を抱える家族がいる人も辛いかと。

それから、ダウン症についての知識があるかないか。

障害を抱える人の描き方も結構容赦がなくて
そのあたりをどう感じるかも相当違うんじゃないかな。

作中では「蒙古症」と表現されていましたが、
これはダウン症の古い呼び方で、
ジョルジュがモンゴルに思いをはせるシーンがあるので
そのまま使われているんだなと理解しました。
ダウン症の人は外見がみな同じ風になるので(個人差はあるけど)
こんな風に呼ばれた時代があったのでしょう。

ジョルジュは実際にダウン症の方が演じられていて、
すごく説得力のある映像に仕上がったなとまずは感心しました。

でね、よくある、配慮とか、悪く描かないでおこう、
美談にしようという意識が薄く、
逆に心配になるほどリアルな描かれ方でした。

ちゃんと会話もでき、ユーモアも理解し、歌い踊り、
やさしさもある。けど、ごく普通とはいかない。
生まれつきの病を抱えた苦悩がこれ以上なくストレートに描かれていてね。
本当になんかもう、人間ってどうしてこんなに不完全なのかなと。

エデンの園を追われるほどの罪を犯したとして、
それでもこんなに辛い運命を用意されなきゃならんかなと
神の無情さを思わずにはいられません。

「チョコレート・ドーナツ」でも実際にダウン症の俳優が演じて
最後に本当に辛い運命を辿って、映画だっていうのに悲しくてたまらなかったけど、
この「八日目」も本当に辛い。


仕事人間のアリーは、ジョルジュに振り回されながらも、
人間らしさとはなんなのかを彼を通じて見出していきます。
最後には自分を縛っていた鎖をといて、
妻と娘のもとへ帰っていけるんですがね。

一方のジョルジュは、会いたかったママが既に亡くなっていて、
一番の望みである暖かい家庭を手にできないんです。
姉もいるけれど、彼女にはもう彼女の家庭がある。
夫と二人の子供がいて、ジョルジュの世話まではできない。
ジョルジュは色々とできる男ではあるんだけど、
時々衝動を抑えられず、我慢ができないと床に倒れて暴れてしまう。

この辺は、知的な障害のある人間がどうやって育てられたか、
適切な療育を受けたか、どのくらい成長できたか
非常に個人差がある部分で、
ダウン症の人がみんなああいう風だとは思わないでほしいけど、
だけど、あんな風にキレちゃうタイプになってしまう場合もあって、
人生はままならぬものだってことなんですよね。

病を抱えているからという理由で親がかわいがりすぎて、
そのせいでほかの兄弟の扱いが悪くなったりすることは現実にあって、
ジョルジュのお姉さんもそれについて少し訴えます。

ジョルジュは悪くないけど、お姉さんも悪くない。
お母さんの気持ちもわかる。でもやりきれない思いは消えない。

障碍者を取り巻く事情がリアルでね。本当にね。
私もそんなに詳しいわけではないんですが、
ちょいちょい支援の必要なこどもとその家庭を見てきて、
親の行動が行き過ぎていたり、逆に足りなかったり、
どの程度受け止め、受け入れ、守ろうとするかは
本当にみんな違っていて、全員が完璧にはなれないんです。

仕方ないし、理解できるし、やりきれない。
家族という名の鎖の重さがね。
幸せばっかりじゃなくて、不幸もあって、
それをどう受け止めるかはその人次第だし、
キャパもみんな違うしって話でね。
本当に辛いんだよね。


ジョルジュは自分によくしてくれるアリーに希望を見出すけれど、
自分の心と対話している間に気がついてしまう。
彼と暮らしたら楽しいと思うけど、はっきりとOKをもらっていないと。

アリーも、自分のこどもすら幸せにできないのに、
ジョルジュの人生まで受け止められないよと答える。

あくまでも他人として、友人としてなら付き合えるけれど、
ジョルジュの孤独のすべてまでは引き受けられないわけです。

その思いを全部理解して、
きれいな女性が好きで、幸せな結婚をしたいけど、
その辺にいる「普通の」男と自分は違うともはっきり理解して、

だったら自分が一番幸せになるにはどうしたらいいのか?
ジョルジュはかなり思い切った決断をします。


最後に流れる優しい歌は、ジョルジュの夢なんだろうなって。
先日みた「ハッピーボイス・キラー」とかなり近い話でした。

人生はどうしてこんなにうまくいかないのかなって
最後はじゃあーっと涙が出てきてまいりました。

だけどアリーは自分が感じた「人間らしさ」を手に入れて
幸せに向かって歩き始めて、ほんとそれが救いになったな。

あなたはどう感じますか?って
映画に試されている気分になりました。

なんにもできないんだけどね。
実際、障害のある人にいきなり抱きつかれたら
間違いなく逃げると思うし。

罪悪感と、当たり前と、やさしさと、厳しさと。
生きるのって本当に難しい。
そんなことを思いました。重たい映画だった。


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