「善き人に悪魔は訪れる」
嵐の夜、突然現れた見知らぬ男。
近くで事故を起こして困っているからと言われたら、
まったく善意を見せずにいられるか?
って形から始まる世にも恐ろしい物語。
映画はとある服役囚の、保釈の審理が始まるところから。
傷害致死の罪で5年刑務所に入っている男、コリン。
酒場で恋人に手出しをしてきた男を最終的に殺してしまった、という罪で刑に服しているんだけど、過去に起きた女性5人の殺人事件にかかわっているのではと疑われている身。
彼はナルシストで、自分の思い通りにならない現実を受け入れられない精神の持ち主で非常に危険だと審理の最中に言われ、保釈は結局叶わない。
とても知的で、穏やかで、ハンサムに見えるコリン。
だけどその中身は、審理で指摘された通りの身勝手極まりない男だった。
刑務所への帰り道、同行している護衛と運転手を殺害し、かつての恋人のところへ。
そこでも優しく理解のある顔を見せるも、彼女の現状はすべて調べ済み。
自分ではない男と付き合っている彼女を許さず、あっさりと命を奪い、次に向かうのは……。
サイコスリラー!とか銘打ってますが、スリラーじゃないかな。
これって、こういう人間が本当に実在するんですっていう
ドキュメンタリー的な映画なのだと思います。
だっているもんね。実際にね。最近ちょっと多いものね。
否定されることを受け入れられず、思い通りにいかなくなったときに我慢がきかない上、他人を傷つける精神って。
さらには、他人を痛めつけるためには手段を選ばず、躊躇もしない。
まさに悪魔がやってきたという話。
だけど悪魔がやってきてしまったのにも理由があってね。
やはり、信頼を裏切るのは良くない。ほんのちょっとくらいいいじゃない、ってゆるみの積み重ねが、悲劇を招いた。
ある意味、主人公テリーが襲われたのに理由があったのはちょっと良かったと思えるほど、コリンの理不尽さは際立っておりました。
この映画は、安易に人を信用してはいけない。
自分の身を守るためには少しやりすぎるくらいでいいよって教えてくれるんじゃないでしょうか……。
いや、これ実話をもとに、とかじゃないよね?
楽しい気持ちになる瞬間はゼロなので、警戒心の薄い人への教材に使うといいかも。
それから、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」
タイトルの切れ目がなぜそこなのか気になる、アカデミー賞受賞作品。
主演はマイケル・キートンで、エドワード・ノートン、ナオミ・ワッツなんかも出てます。
すーっと胸に入ってくる映画かというと、ちょっと難しいかもしれない。
人間の負の感情をあますところなく描いて、現実と心の世界をゆらゆら揺れながら、
だけどこれ、ジャンル的にコメディになってるんだよねっていう難しさがある。
笑っていいのかどうか、笑うべきなのかもしれないけど、胸が痛む部分が多くてさ。
主人公であるリーガンは、かつて「バードマン」というタイトルのヒーロー映画で一躍大スターになった俳優なんだけど、その栄光も20年前の「バードマン3」までの話。
自分についてまわる「バードマン」の名を嫌がり、再起をかけてブロードウェイで舞台に挑戦する。
かつて自分の演劇をほめてくれた作家の少しばかり地味な短編を、脚本、演出、主演すべて自分でやろうとしている。
ところが、一緒に舞台に立つ俳優は演技がイマイチ。
けがをしたので代役にブロードウェイでは名の売れた男が来てくれるけど、有能なのに破天荒すぎて舞台のプレビューをぶち壊されてしまう。
付き合っている女の子は妊娠したと言い出し、付き人をやっている娘は薬物依存から抜け出そうとリハビリの真っ最中なんだけど、うまくいかなくて世界で最大級の言葉のナイフを突き立てられてしまう。
さらには、ブロードウェイでは一番の影響力を持つ批評家のタビサの怒りも買う。
彼女は「映画界」からやってきた人間が大嫌いで、そもそも見る気もないくせに酷評してやるとがなりたててくるから。
とまあ、リーガンに起きる出来事はかなりさんざん。
過去のスター、しかもヒーローものしか代表作がないという絶妙な立ち位置に加えて、
現代の大勢の無邪気な一般市民の攻撃、+インターネット拡散の暴力が加わり、
自分はできる、いやできないと表現者ならではの不安な心理状態で世界はグラグラ、
そして、才能のあるなし、自分のほうが上だ、下だ、認められている、愛されている、成功している、見てもらっている、承認に対する欲求とそんなの求めても無駄だというあきらめがぶつかり合って、追い詰められて追い詰められてそして……
カメラワークはとても凝っていて、見ていて飽きない。
物語は濃厚なんだけど、それに加えてリーガンには摩訶不思議な力がある。
これが現実なのか、それとも妄想なのか?
どちらで解釈しても面白いんじゃないでしょうか。
なんにせよ、表現者を仕事にするっていうのは本当に大変なことだと思うんです。
作家や漫画家もそう。映画監督も、ゲーム制作もそう。
もっと大変なのは、自分自身を売り物にし、プライベートと仕事の境界線があいまいな、
世間に姿をさらし続けている俳優やアーティストたちなんじゃないでしょうか。
他人への妬みや、自分との比較、本音だからこそ許せない言葉もあり、真実なのに受け入れられない出来事もあり。人間はいつも複雑で、だからこそアーティストと呼ばれる人たちは、たびたび追い詰められるのだろうなあと思います。はい。
ラストシーンについても、解釈の仕方がそれぞれ分かれるんじゃないかな。
単純に明るく、奇跡が起きたのだと思ってもいい。
悲しいけれど、すべては夢だったのだと考えてもいい。
そんな映画なんじゃないでしょうか。
本来はもうちょっと気楽に、いろいろ笑い飛ばしていいのかもしれないけど、
だけど私のような感傷的な観客にはそうできないかなと思います。
ただアレだよね。あれだけ意地悪な批評家がほめたポイント、ズレてんなってw
それだけは大勢と共感できたらいいかな。
にしても、エドワード・ノートンのちょっとサイコな奴やらせたらすごいのよ感は相変わらずでうれしかったです。
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