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2015-04-16(Thu)

「マーサ、あるいはマーシー・メイ」

映画を観ました。
マーサ、あるいはマーシー・メイ

あらすじがとても「ヤバそう」だったので観てみる。

とあるカルト集団に身を置いていた主人公マーサが、
逃げ出して姉のところに身を寄せるも、
過去に体験した異常な日々がフラッシュバックしてきて……

みたいな話。
公式サイトにある通り、
「マインドコントロールの状態にあった女性が逃げ出して
 まともな社会に戻った最初の二週間の話」
でした。
ノンフィクション風のフィクションかなあ。
マーサという主人公に
「こういうことがあって」「最終的にこうなった」
という作りの話ではなく、
異常な集団のマインドコントロール下にあった若い女性が
普通の社会に戻ろうともがき苦しむ様子を見せて、
それがどんなに困難か見せるような、そんな作りの映画でした。

マーサは過去につらいことがあり、自分を変えたいと望む若い女性で
これこそが正しい道なのだと信じて怪しげな男に連れられて共同生活を始めます。
集まった人々は「みんなで愛し合い、共有し合う」といいつつ、
基本的にはリーダーの言いなり。
女性はみんなリーダーのものにならなければならないし、
一切の自由も贅沢も許されない。
名前すらも「マーシーがいい」と変えられるし、
でも、殺人も厭わない異常さに気が付いて、マーサは逃げ出すワケです。

疎遠だった姉のもとに身を寄せ、
家族は他にいないから、姉もマーサを心配するんだけれど、
あまりにも異様な行動の数々に姉妹の間には溝が出来ていく。

過去にあった出来事と、現在進行形が交互に織り交ぜられて、
マーサがどんな体験をしてきたか、今の異様さの理由が少しずつわかっていく、
というだけではなくて、
彼女が身を置いていたへんてこな集団からの扱いと、
身を寄せた姉の家で受ける義兄と姉からの反応は
そこまでかわりはないんじゃないか的な、
そんなギリギリさが描かれているんじゃないかなあ……なんて。

観ていてハラハラしてしまうのはそのせいなんでしょうね。
カルト集団のリーダーから受けた性的な暴力と、
義理の兄が示そうとする「親愛の情」っていうのは全然違うんだけども、
受け手の心理状態によっては「同じセクハラ」になってしまうというか。

うまく説明ができないんだけれども、
マーサがいかにまともではないかを、
映像でソリッドに描き出しているのだなーと思いました。
ただ、あんまり気分のいい映画ではないので、何度もは見られないと思う。

「ここではこどもは男の子だけ」っていう言葉の意味を
考えるととにかくおっかない。そういう映画でした。
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