忍者ブログ

2015-12-03(Thu)

「帰ってきたMr.ダマー バカMAX!」

帰ってきたMr.ダマー バカMAX!

今回はおうち視聴ではなく、映画館でみた最新作!
20年前にあった、「ジム・キャリーはMr.ダマー」をご存知の方は
あんまりいらっしゃらないと思いますが、その続編です。
まさかの20年越し。
一時はコメディがイヤになっていたんじゃないかなと思わせる雰囲気があった
ジム・キャリーが、かつてやった中で最も純粋なバカの役をもっかい!
っていう最高の一本でした。

ジム・キャリー演じるロイドと、ジェフ・ダニエルズ演じるハリー。
二人は善き友人で、かつ、ものっすんごいバカなんです。
バカが二人がかりなので、普通のこともまともには進まない。
ただただそれだけの映画です。

一作目は、一目ぼれした女の子が忘れていたトランクを届けるという話でした。
要するに、とんでもなく迷惑な珍道中。

今作は、ハリーが腎臓移植が必要になったんだけど、肉親がいない。
ところが実は娘が生まれていたことがわかったので、探しに行くという
またもや超はた迷惑な珍道中です。

面白いポイントはもう、ひたすらに二人が規格外っていうところなので、
こうなんですよとここに書くのはナンセンスだと思います。
実際に見て欲しいところですが、あまりにもくだらなさすぎるし、
めちゃめちゃ不謹慎なので、頭の固い方には全然楽しくないんだろうなーっていうのがね。
あるんですよ。この映画は、全然自重しません。
こんなことしたらこういう団体からクレームが来るかもしれないなってことを
率先して全部やっていっちゃう映画です。

そこがね、いいの。
久々に純粋な、アメリカ産の不謹慎バカ丸出しコメディです。
こういうの、減ったよね。配慮配慮で減ったよね!
って言いたい。それから、ジム・キャリーがあれから20年経ってさすがに老けたんだけど
それでも完璧なジム・キャリーで見ているだけでもう笑いがこみあげてきちゃうっていう。

これを笑って許してくれるおおらかさがある人となら、
長い間つきあっていけるだろうなーって思いました。

で、この二人についてとても感心したのは、
不謹慎極まりないバカな二人なんだけど、
全然悪意がないっていうところ。
小学生男子のわるふざけを50過ぎてもまだやってるだけで、
悪(あく)ではないというところに、監督の美学を感じました。

最後の最後まで、ほんとふざけ放題です。
サービス精神にあふれた素敵な一本。万人にはすすめません!
PR

2015-12-01(Tue)

「APP:アプリ」

「APP:アプリ」 WOWOWの作品紹介ページはこちら

オランダ映画。
突如としてインストールされた謎のアプリのせいで、
女子大生がヒャーンとなる話。オランダ映画。

イギリス・イタリア・フランス・ドイツあたりとは一味違う、
オランダ・デンマークおよび北欧の映画勢に最近ちょっとワクワクしてるんすけど。

今回は、スマートフォンの便利さにおぼれてやいませんか、みなさん

みたいな作品だったと思います。

多分だけど、映画館でみたらアプリの連動があってもっと怖かったのかな。

冒頭で、一人の女性が呆然としながら線路に侵入するところからスタート。

そして、主人公のアナ。
友人とルームシェアしながら、大学に通っている女の子。
弟が事故にあって、今は一生懸命リハビリ中。
片時もスマートフォンを離さない生活をしているんだけど、
新入り(元カレだった)の開催したパーティに参加した次の日の朝、
唐突に妙なアプリがインストールされる。
それが、やたらと話しかけてくるわ削除できないわで、じわじわ追いつめられるんですが。

勝手に入り込んでくるアプリケーションに対する無防備さとか
日常化から切り離せないゆえに起きるあれこれにうわあって気分に。
おいてきゃいいじゃん!って思うんだけど、アナは決して手放さないんです、スマホ。
ただこの話、スマホが……ってだけの話ではなく、
怨念的なホラー要素もがっつり入ってきて、
最終的には超常現象もいろいろ起きます。


それで結局、アプリは進化しちゃったのかなあ。
お化けの復讐は終わったはずが、最後の最後までウワハハハハ!ってなっちゃって。
前にみた「Offline」でも思いましたが、
全部が全部コンピュータ制御されているっていうのは、
悪意のある誰かの手に落ちた時サイアクだよねっていう
そういう話ですなって感じです。

面白かったかと言われると、そこまででは……って感じかな?
まあまあでした。

2015-11-26(Thu)

「潜水服は蝶の夢を見る」

潜水服は蝶の夢を見る

ELLEの編集長であったジャン=ドミニク・ボビーの書いた自伝を映画化したもの。
公式サイトには「愛の感動作」って書いてあるけど、
愛の感動作ではないと思います。これは。
もちろん、ジャン=ドーを救ったのは愛なんですけども、
本当に彼を救ったのは間違いなく、彼自身の強さだったと思うので。


目覚めると、視界が歪んで体が動かず、声も出せない。
突然の病で突如体の自由を失ったものの、意識ははっきりしている。
動かせるのは唯一、左目だけ。
そんな絶望に沈んだところから、なんとか希望を見出して自伝を書き上げるまで、
ジャン=ドミニクのたどった過酷な運命について描かれています。

意志ははっきり残っているのに体がまったく動かない、
ロックトインシンドローム(閉じ込め症候群)に陥ってしまったという悲劇。
人は自分の命とどう向き合い、折り合いをつけていくのか、
経緯が丁寧に描かれていたなあと思います。

治らない病になってしまったのとは違う、
体の一部を失ってしまったわけでもない。
充実した人生を歩んできて、仕事も地位もあり、家族もあったのに、
突然肉体だけを失ってしまう。
自分から命を絶てもせず、周囲から暖かい言葉ばかりを投げられ、
自暴自棄になることすら許されない状況って、凄まじいものがあると思います。

こうなると、ゆっくりと立ち直るしかないわけで。

たくさんあきらめて、たくさん思い直して、たくさん心で舌打ちをして、
最後には自分の才能を諦めず、瞬きだけで言葉を綴っていくっていう。

あらすじとか細かいことは書きたくないです。
もし興味がわいたなら、実際に見た方がよいとおもいますので。

最近障碍児についていろいろと意見が飛び交っておりましたが、
出生前診断については当事者の判断にゆだねるとして、
人間ってなんだかんだ不完全で、ちょっとしたことで体が動かなくなったり、
機能が失われたりするんですよね。
病気だけではなく、ケガ、事故、どんなに気を付けていても、誰かの油断とか天災で、
どうにもならないことってあると思うんです。

私の家族にも、病気で突然体の自由を失った人間がおります。
毎日車いすを押していると、好奇の目に晒されたり、やたらと憐れまれたり、
思わぬ親切を受けたり、本当にいろいろ起きるんですよね。
当事者ではありませんが、そばにいる人間としてどうしても考えさせられます。

健康に生まれて、健康に生きていても、明日どうなっているかわからない。
いつ誰の世話になるかわからないんだから、
障碍者を受け入れるっていうのは、
将来の自分を守ることにつながるんじゃないかなと、思います。

周囲にある、煩わしいと思える存在に、ほんの少しでもいいから
理解を持とうと思って生きていくべきなんじゃないすかね……。

最近はなんでも便利になって、即席、速攻の世の中ですけど、
面倒なもの、自分とは違うものを全部排除していったら、
世界はもっと殺伐とするんじゃないでしょうか。

なんてことまで考えてしまいました。
井上雄彦先生の「リアル」でも、人生の途中で障碍を負った人たちがよく描かれています。

見てよかったとしみじみ思える映画でした。

2015-11-20(Fri)

「ゾンビ・リミット」「デビルズ・ノット」

「ゾンビ・リミット」

制作はスペイン/カナダになってましたが、言語は英語。
タイトルにゾンビってはっきり入ってますが、原題は「Reterned」。

世界には人をゾンビ化してしまうウイルスがあって、
人類は何度かの危機を経験し、今では感染しても発症を抑える薬を開発しており、
ウイルスに感染してしまったものの、適切な治療で発症を免れている人が
タイトルの通り「リターンド」と呼ばれています。

リターンドはごく普通の人間と同じように生き、生活をしているのですが、
発症を抑える薬が少なくなっていて
(発症しゾンビになった人間の髄液からしか採れないという鬼畜仕様)
処分しろ!と声高に叫ぶ市民も結構大勢いるような世界観。

主人公は過去に父親が発症、母親は父に食べられてしまい、
父親を銃で撃ち殺したという経歴の持ち主。
リターンド専門の医師、研究家であり、恋人までリターンドだったりします。
そんなケイトが、リターンドが襲われる事件が連発し、抑制薬が失われる中、
恋人を救うために必死になる話なんです。

ゾンビはちょっと出てくるんですが、そんなには姿を見せません。
ゾンビ映画と呼ぶのはちょっと憚られるかな。

リターンドはごく普通の人間なんですが、薬がきれれば即発症してしまうし、
その血に触れれば感染してしまう危険な存在です。ゆえに反対派がいるのも仕方ない。
抑制薬に必要なタンパク質は、発症してしまった人からしか採れない。
今は薬で抑制されているので、発症しない→薬のもとがとれない
という悪循環もあって、代替品の開発が進んでいるけどなかなか完成しない。

リターンドが激しく追い立てられる中、ケイトは必死で恋人を守るのですが、
その努力は最終的に実らないんですよね。ラストは本当にかわいそうで、
最後の最後の豹変もやむなし……と思いました。

ゾンビをゾンビとしてではなく、ひとつの病として描くっていうのは新しいかな。
リターンドと人間であんなにイチャイチャするのは大丈夫なのかな?とか
子供が出来たけどそれってどういう感じで生まれるのかな?とか
疑問は色々。全体的にうすぐらーくて静かな雰囲気で、ムードが良かったなーと。思いました。


そして「デビルズ・ノット

アメリカで実際に起きた、子供三人が惨殺された事件。
その犯人を追及した裁判が非常に雑で、冤罪だったのではないかと言われているんですよ
っていうのを映画化した作品。

実際に犯人とされた3人の若者は2011年に条件付きで釈放されたという。
非常に怪しい人物について最後、言及されていますがこれは大丈夫なのかな?

あらすじだけに惹かれてみてみたら、デイン・デハーン様が出てました。
影のある若者やらせたら天下一品ですね。犯人っぽすぎてびっくりですよ。

映画は裁判がいかに不当に行われたかを描いたもので、
あまりの不公平感にイライラしてしまうっていうよくあるタイプです。
こういう裁判が、いかに田舎であっても本当にあったかと思うとクラクラしてしまう。

この映画よりも前に、同じように裁判の問題点について訴える作品があって、
アメリカでは非常にメジャーなのに、すぐに再審に結びつかなかったのは不思議。

自分の大切なこどもがあんな風に惨たらしく殺されて、
証拠らしい証拠が出て来ない茶番のような裁判でその辺の若者が犯人に仕立て上げられて
被害者の家族はどれほど辛かったでしょうね。
とにかくあいつらが怪しい、犯人だ、これでいいんだって人もいたのだという風に
描かれておりますし、真犯人については非常に近い人物が浮上しているみたいで
なんだかもう、やりきれない、本当に悪魔の仕業だなと思います。はい。

事件そのものも恐ろしいし、
こういう無茶苦茶な冤罪が存在するのも恐ろしいし。

で、レストランにやってきた男は一体なんだったの。どうなったの?
デハーン様がやったクリスはなんだったの、などなど
疑問は残ってしまう。事実をそのまま入れたんでしょうけども、
見せ方としては若干うまくない部分もあったかな。

とはいえ、人間の恐ろしさ、弱さが存分に描かれていたとは思います。
こんな事件は世界からなくなればいい。

2015-11-19(Thu)

買い忘れ

6巻を買った時に思っていたんです。
あれ、5巻を読んだかな?って。

で、6巻を読んでからわかりました。
5巻読んでねえって。




新黒沢最強伝説です。

カイジやアカギで有名な福本先生作品。
これの前のシリーズがものすごく好きで好きで、
きれいに終わったのにまたやるの?って思ったんですけどね。

前シリーズである「最強伝説黒沢」は、昔職場の方に貸してもらって知りました。
これ面白いよーって。チームの皆さんが面白いっていうので借りると、
その時は3巻までしか出てなかったんですけど、異常に心を打たれてしまって。
頼れるアニキデビューに失敗し、後輩に怖がられ、最後は側溝にハマって
出たくないとわがままを言う。
黒沢は人望が欲しくて、自分に自信がなくて、人生を変えたくて、
でもそんなに持ってる人ではなくて。

知らない方は一度「最強伝説黒沢」の3巻までとりあえず読んでくれないかなと思いますが、
側溝(いわゆるドブ)にハマるシーンにやたらと共感してしまって、
黒沢の気持ちがわかるって言ったら貸してくれた方には「駄目でしょ」って言われてしまいました。

その後、本当にみっともないやり方ながらも、黒沢は何度も立ち上がるんです。
挫けていじけて、嫌になって、苛立って、それでも最後は立つんです。
自分の魂のために、決して誇りを失わないようにって、立ち上がるんですよ。

そういうところが好きなので、新シリーズも読んでいます。
ものすごいスロースタートで、どうなることやらと思ったんですが、
ここにきてもう、すごい。響く。これが響く人とともだちになりたい。

ヒーローなんかいないんだよ、って今回の背表紙には書いてあります。
その通り。ヒーローなんていない。
みんなの望みをすべて叶えてくれる存在なんてこの世にはいないし、
いてはいけないのだと思います。

5巻のメインテーマは、増長と許容、みたいな感じかな。
つけあがるという心理の在り方が描かれているし、
人と他人のものさしは違うのだから、っていうのがね。

他人が自分とあまりにも違う場合、苛立ったり呆れたりしてしまうのでしょうが、
それは心にしまって、寛容な精神ですべてに臨めたらいいですよね。

黒沢は哲学書です。
カイジも面白いけど、やっぱり黒沢が一番の傑作だと思います。はい。