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2016-03-14(Mon)

「善き人に悪魔は訪れる」「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

まとめて二つ。両作品とも2014年アメリカの作品。

善き人に悪魔は訪れる

嵐の夜、突然現れた見知らぬ男。
近くで事故を起こして困っているからと言われたら、
まったく善意を見せずにいられるか?

って形から始まる世にも恐ろしい物語。
映画はとある服役囚の、保釈の審理が始まるところから。
傷害致死の罪で5年刑務所に入っている男、コリン。
酒場で恋人に手出しをしてきた男を最終的に殺してしまった、という罪で刑に服しているんだけど、過去に起きた女性5人の殺人事件にかかわっているのではと疑われている身。
彼はナルシストで、自分の思い通りにならない現実を受け入れられない精神の持ち主で非常に危険だと審理の最中に言われ、保釈は結局叶わない。

とても知的で、穏やかで、ハンサムに見えるコリン。
だけどその中身は、審理で指摘された通りの身勝手極まりない男だった。
刑務所への帰り道、同行している護衛と運転手を殺害し、かつての恋人のところへ。
そこでも優しく理解のある顔を見せるも、彼女の現状はすべて調べ済み。
自分ではない男と付き合っている彼女を許さず、あっさりと命を奪い、次に向かうのは……。


サイコスリラー!とか銘打ってますが、スリラーじゃないかな。
これって、こういう人間が本当に実在するんですっていう
ドキュメンタリー的な映画なのだと思います。
だっているもんね。実際にね。最近ちょっと多いものね。
否定されることを受け入れられず、思い通りにいかなくなったときに我慢がきかない上、他人を傷つける精神って。
さらには、他人を痛めつけるためには手段を選ばず、躊躇もしない。
まさに悪魔がやってきたという話。

だけど悪魔がやってきてしまったのにも理由があってね。
やはり、信頼を裏切るのは良くない。ほんのちょっとくらいいいじゃない、ってゆるみの積み重ねが、悲劇を招いた。
ある意味、主人公テリーが襲われたのに理由があったのはちょっと良かったと思えるほど、コリンの理不尽さは際立っておりました。

この映画は、安易に人を信用してはいけない。
自分の身を守るためには少しやりすぎるくらいでいいよって教えてくれるんじゃないでしょうか……。
いや、これ実話をもとに、とかじゃないよね? 
楽しい気持ちになる瞬間はゼロなので、警戒心の薄い人への教材に使うといいかも。



それから、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
タイトルの切れ目がなぜそこなのか気になる、アカデミー賞受賞作品。
主演はマイケル・キートンで、エドワード・ノートン、ナオミ・ワッツなんかも出てます。

すーっと胸に入ってくる映画かというと、ちょっと難しいかもしれない。
人間の負の感情をあますところなく描いて、現実と心の世界をゆらゆら揺れながら、
だけどこれ、ジャンル的にコメディになってるんだよねっていう難しさがある。
笑っていいのかどうか、笑うべきなのかもしれないけど、胸が痛む部分が多くてさ。

主人公であるリーガンは、かつて「バードマン」というタイトルのヒーロー映画で一躍大スターになった俳優なんだけど、その栄光も20年前の「バードマン3」までの話。
自分についてまわる「バードマン」の名を嫌がり、再起をかけてブロードウェイで舞台に挑戦する。
かつて自分の演劇をほめてくれた作家の少しばかり地味な短編を、脚本、演出、主演すべて自分でやろうとしている。
ところが、一緒に舞台に立つ俳優は演技がイマイチ。
けがをしたので代役にブロードウェイでは名の売れた男が来てくれるけど、有能なのに破天荒すぎて舞台のプレビューをぶち壊されてしまう。
付き合っている女の子は妊娠したと言い出し、付き人をやっている娘は薬物依存から抜け出そうとリハビリの真っ最中なんだけど、うまくいかなくて世界で最大級の言葉のナイフを突き立てられてしまう。
さらには、ブロードウェイでは一番の影響力を持つ批評家のタビサの怒りも買う。
彼女は「映画界」からやってきた人間が大嫌いで、そもそも見る気もないくせに酷評してやるとがなりたててくるから。

とまあ、リーガンに起きる出来事はかなりさんざん。
過去のスター、しかもヒーローものしか代表作がないという絶妙な立ち位置に加えて、
現代の大勢の無邪気な一般市民の攻撃、+インターネット拡散の暴力が加わり、
自分はできる、いやできないと表現者ならではの不安な心理状態で世界はグラグラ、
そして、才能のあるなし、自分のほうが上だ、下だ、認められている、愛されている、成功している、見てもらっている、承認に対する欲求とそんなの求めても無駄だというあきらめがぶつかり合って、追い詰められて追い詰められてそして……

カメラワークはとても凝っていて、見ていて飽きない。
物語は濃厚なんだけど、それに加えてリーガンには摩訶不思議な力がある。
これが現実なのか、それとも妄想なのか?
どちらで解釈しても面白いんじゃないでしょうか。

なんにせよ、表現者を仕事にするっていうのは本当に大変なことだと思うんです。
作家や漫画家もそう。映画監督も、ゲーム制作もそう。
もっと大変なのは、自分自身を売り物にし、プライベートと仕事の境界線があいまいな、
世間に姿をさらし続けている俳優やアーティストたちなんじゃないでしょうか。

他人への妬みや、自分との比較、本音だからこそ許せない言葉もあり、真実なのに受け入れられない出来事もあり。人間はいつも複雑で、だからこそアーティストと呼ばれる人たちは、たびたび追い詰められるのだろうなあと思います。はい。

ラストシーンについても、解釈の仕方がそれぞれ分かれるんじゃないかな。
単純に明るく、奇跡が起きたのだと思ってもいい。
悲しいけれど、すべては夢だったのだと考えてもいい。
そんな映画なんじゃないでしょうか。
本来はもうちょっと気楽に、いろいろ笑い飛ばしていいのかもしれないけど、
だけど私のような感傷的な観客にはそうできないかなと思います。

ただアレだよね。あれだけ意地悪な批評家がほめたポイント、ズレてんなってw
それだけは大勢と共感できたらいいかな。

にしても、エドワード・ノートンのちょっとサイコな奴やらせたらすごいのよ感は相変わらずでうれしかったです。
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2016-03-13(Sun)

「ジュマンジ」

「ジュマンジ」

1995年ハリウッド作品。
主演はロビン・ウィリアムズでお久しぶりな気分になりました。

お父さんとうまくいってない多感な時期の少年が、
たまたま土の中から発見したひとつのボードゲーム。
遊ぶつもりってほどじゃなかったけど、
サイコロを振ったらスタートしてしまって、
中央に浮かび上がった文字通りの出来事が起きてしまう。
それがまた、とんでもないことばっかりで、
クリアしない限り消えないというトンデモ仕様だった……
というお話。
ゲームの名前がジュマンジで、そのまま映画のタイトルになっている。

このタイトルだけはやたらとインパクトがあって覚えていたけど
映画自体はみていなかったのでWOWOWありがとう的な感じで視聴。
ものすごくわかりやすいエンタメ作品で、面白かった。
こんなゲーム絶対やりたくないよってな呪いのボードだよね。

ジュマンジの世界は荒っぽいジャングルと獣で構成されていて、
主人公を心配してやってきた幼馴染のサラがまず、
吸血コウモリの大群に襲われる。
次にサイコロを振ってしまった主人公のアランは
「誰かが5か8を出すまでジャングルで待つ」。

それから26年、アランが住んでいた屋敷は廃屋になっており、
そこへやってきたのがノラという女性。
兄夫婦が事故で亡くなり、ジュディとピーターという姉弟を引き取って
ここでペンションでもやろうと考えているのだが、
引っ越し2日目に姉弟は学校をサボることに。
ジュマンジはプレイヤーがいないと、ドコドンドコドン太鼓を鳴らして
人を呼び寄せるという呪い仕様だから。

うっかりゲームを始めてしまった姉弟は暴れサルやらライオンに襲われてしまうも、
ピーターが「5」を出したお陰でアランが帰還。
完全にターザンと化したアランは、家が他人のものになり、
父の事業が失敗し、それどころか母とともに既に故人になっていたという
現実に打ちのめされてしまう。

毒性の強い蚊や野生の生き物たちを追い払うためには
ゲームを最後までやらなければならない。
アランはなんとか説得できたものの、サイコロを振っても反応はなく、
ボードの上には4人分のコマが……と幼馴染のサラを強引にさらって参加させる。

プレイするだけでも超大変なジュマンジを、4人はクリアできるのか!
という愉快な物語でした。

野生の生き物や特殊な植物などに関しては、
CGのレベルの黎明期具合がかわいらしくてなんだかほっこり。
あとは、ロボットとかでなんとかしてるのかな。クモがいい味だしてる。

町が混乱に陥って、ドサクサに紛れて窃盗してる人が多いところなんかも
多少時代を感じたかなあ。
子供がみたら楽しい映画だと思いました。

ロビン・ウィリアムズが若くてね。
いい役者だったなあって少ししんみりもしました。

2016-03-08(Tue)

「デッドライジング ウォッチタワー」

先週末から急に体調が悪くなったので、景気づけにゾンビ映画。

「デッドライジング ウォッチタワー」

2014か2015あたりのハリウッド制作。
原作はカプコンから発売されたゾンビわらわらサバイバルゲーム。

主人公はジャーナリストで、ショッピングモールにゾンビ大量発生中取り残されて、事件の真相をおいつつスクープ写真を撮る、みたいなゲームだったと思う。
その場にあるアイテムを武器にして、ゾンビを倒す。派手にぶちかましている写真が撮れたら高得点みたいな内容だった気がする。

そんな映画を下敷きにした今作。
冒頭からゾンビに追いつめられる主人公。
ゾンビのメイクはいい感じ。ピエロゾンビすげえ怖い。
主人公大ピンチからの、時間さかのぼり。
なんだかゾンビがいるらしいという現場に取材に来て、それからどうなった?
みたいな展開に。

この世界ではゾンビウイルスの大規模感染がすでに複数回あって、
前にみた「リターンド」同様、抗ゾンビウイルス剤的なものを使えば
発症せず人間のままでいられるという設定らしい。
というわけで、大きなホールでは予防接種のための行列ができている。
打てば大丈夫!のはずのゾンブレックス……ところが注射したそばから
二人がいきなり発症。ゾンビ化、大惨事!

主人公のチェイスは一人町の中に取り残され、町は封鎖。
空気感染するからという理由でバリゲードが作られ、
生き残ったゾンビじゃない人たちまで撃ち殺される異常事態に。

主人公のチェイスは封鎖された町の中で、
相棒のジョーダンは軍や製薬会社の関係者たちの中で動いて
真相に近づいていく……。

みたいな話でした。
どうせゾンビしかいねえんだ、ヒャッハー!みたいな世紀末的バイク軍団、
娘がゾンビ化し、ひとり生き残ってしまった母ちゃん、
なにやら訳ありの美女なんかと一緒に行動したり、戦ったりしながら
最後は「えーそういう終わりなのー」ってな締め方をします。

真相はわかるんだけど、解決はできない、みたいな。
これは、ゲームが原作で、どんなゲームなのか知ってないと
あんまり楽しめないかなーという気がします。

だけど、よくみたら主人公が、デス妻の庭師のジョンだったり、
軍の責任者が「24」のパーマー大統領だったりしてほんと楽しいっていうね。
パーマー大統領じゃん!ってなりましたよ。見ててよかった24。

ゾンビものってたくさんあるけど、ゾンビの特殊メイクが全然なってないのって
みかけないですね。どうしてなのかな?作りやすいんだろうか。

ちなみに、残酷表現を抑えようとしているのか、カメラワークが多彩で面白い。
うまい、とまでは言わないけど、気をつかっているんだなって。そんな印象。

にしても、ピエロのゾンビ怖すぎ。
トラウマになるかもしれないから、気の弱い方はみない方がいいです。

2016-03-04(Fri)

「ラストベガス」

ラストベガス

じいさん祭り。2013年、ハリウッド作品。

60年来友人をやってきた四人のじいちゃんたち。
そのうちの一人が若い女の子と結婚するということで、
じゃあ独身最後の日パーティをラスベガスでやろうぜ!
と、ベガスへGOGOする話。

若い女の子と再婚しようとしているビリーを、マイケル・ダグラスが。
ビリーとは昔恋敵だった上、ある一件から恨んでいるパディがロバート・デ・ニーロ。
大病をしたせいで息子に心配されてしまい、家に閉じ込められているアーチーをモーガン・フリーマン。
ベガスに行くってことは女遊びしたいんでしょうからって、奥さんに「浮気してもいいけど詳細は教えないでね」ってコンドームと一緒に送り出されるサムを、ケヴィン・クラインが演じている。
年配のスター勢揃いの一作。ちょい役のゲストたちも豪華。

話はとてもよくまとまっているコメディで、
ビリーとパディの諍いも、アーチーの行き過ぎた親子愛も、浮かれすぎたサムもみんな、収まるべきところにきれいに収まります。美しい。
四人はかなりイケてるじいさん軍団で、なにげにギャンブルの才能があったアーチーが大金を稼ぎだし、ホテルからはVIP待遇を受け、水着コンテストで審査員をやったり、マフィアの大物のふりをして若者をだましたり、最後は長年のわだかまりがとけて更に仲良くなって……。みたいな感じ。

幼馴染からずっと付き合いを大事にして、多少モメていたとしてもお互いに声をかけあい、心配しあえる間柄ってすごいなと思います。そんな友達、一人でも素敵なのにね。

デ・ニーロの偏屈そうなへの字口がとても愛おしいw
というかみんなかっこよすぎる。ドレスアップした姿はダンディでイカしてました。
モーガン・フリーマンの飄々とした様子が和むし、ケヴィン・クラインは普通に美爺だね。
ハンチング帽がこんなに似合うダンディいる? みたいな。

というわけで、じいさん好きには天国のような映画。
この年代になってもシャッキリした四人に敬意を表したい。いいもの見ました。

2016-02-29(Mon)

「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」

「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」

2005年、アメリカの作品。
もともとは舞台用の作品だったのかな?

天才的な数学者の父が亡くなり、娘が一人残されるところから物語は始まる。
キャサリンは父親同様数学の才能を持っているけれど、
それだけではなく、うちにこもる傾向も受け継いでいる。
精神の均衡を崩してしまった気難しい父親を施設に入れず、
自分の家で好きなように過ごさせてあげたい。
そう思って、五年にわたって介護をし、父が亡くなる。

父の教え子であるハルがやってきて、なんだかんだで少し親しくなって。
父の死に伴い、葬儀とパーティ、NYで働く社交的な姉もやってくる。

そこからちょっと、すったもんだします。
父の残した大きな家は売って、一緒にNYで暮らしましょうと姉はいう。
キャサリンは精神的に不安定だから、心配だよと。
そばにはいなかったけれど、家のローンを払い続けたのは姉の労働からで、
父に寄り添い、みとった妹とは意見がずっと平行線。

ハルの探していた博士の研究も、大発見だったんだけど、
実はそれはキャサリンが解いたもので。
だけどそんなわけないじゃないって信じてもらえなくて。

キャサリンの苦悩は非常に深いんです。
彼女はひとつのことに深く没頭するタイプで、不器用で、不機嫌で、扱いにくい女性だから。

信じてもらえない、共感してもらえない、自分の考えを優先してもらえない。
君は不器用だから、精神的に安定していないから、生活力がないから、お父さんはもういないんだから……。

そういう包囲網があって、息苦しくて、だけどキャサリンは逆切れみたいに叫ぶしかできないんですよね。
人間って不完全なんだなあって、思います。
本当はみんな優しくてね、思いやって言ってるはずなんだけど。
ほんの少しのズレが全部悪い方向に出ちゃうこともあるよねって。

この映画はとても重苦しくて、見せ方もたぶん、わざと小難しくしているんだと思います。
これこそが、主人公と父親の世界なんだろうと思うんだよね。
他人からあまり理解してもらえない。すごいんだけど、ちょっとねって、敬遠される感じ。

楽しい映画かと言われると、NOなんだけど。
だけど、現実にいる「付き合いにくい人」の世界が少しわかるような気がするし
ほんのちょっと、時間を置いて待ってあげるだけで、
無言で黙って横にいてあげるだけで、解決するのかもしれないよ、って。
そんなヒントがもらえる話かもしれないなって思いました。

でも、余裕のある精神状態でみないとつらいかもしれないなー。
演技はみなさんピカいち。だから、その分重く感じる。