忍者ブログ

2016-03-21(Mon)

「ピクセル」

ピクセル

2015年ハリウッド制作。
主演はアダム・サンドラーで、個人的にはすごく苦手なんだけどw
面白そうだったので見てみることに。


1982年、アーケードゲームの世界大会が行われ、
その時の映像が「当時地球で流行しているもの」としてテープに収められ
宇宙人へのメッセージとして打ち上げられる。

ところがそれを受け取った宇宙人が、
非常に攻撃的な挑戦状として認識し、
収録されていたアーケードゲームのルールで戦いを挑んでくる。
普通の軍隊ではうまく対応できずに、
当時ゲームのチャンピオンだった主人公たちに声がかかって
地球の存亡をかけた戦いが始まるのだった……

という物語。

アメリカン・ジョークと懐かしいゲームネタが満載で楽しい。
宇宙人はゲームをもとにした戦いを仕掛けてくるんだけど、
決してもとになったゲームのルールを破らない。
破らないので、ズルをすると怒るというかわいい仕様。

主人公のサムと、幼馴染のさえない仲間の大統領ウィル、
わけがわからないことばかり言うオタ丸出しだけどピュアなラドロー、
アーケードゲームのチャンピオンだった服役囚のエディ。
それから、軍の一員でサムのお客だったすてきなバツイチヴァイオレット。
世界を救うためにゲーマーがファイターになる話なんだけど、
とにかくゲームへのリスペクトがハンパなく、
ついでにいうとパックマンの製作者岩谷教授が、
演技すげえうまい!と思ったら本人じゃなかったっていうw

ご本人も出ているらしいんですけど、本人役じゃないんだって。


日本とアメリカでは流行るものもリリースされたものも差があって
時々わかんないキャラが混じってはいるんだけど、
大体は理解できるし、テトリスのパーツが降ってきて建物が消える演出は大爆笑。
ドラマ部分が少しもったりしているけど、
その辺は大目に見れば基本楽しいんじゃないでしょうかね!
PR

2016-03-20(Sun)

「赤い靴」

「赤い靴」

1948年、イギリスの作品。
すごいな、1948年って……というのがまず出てくる一本。
アンデルセンの童話「赤い靴」を劇中のバレエの舞台として取り上げ、
芸術に生きる人間の苦悩を描いた作品、ってことでいいのかな。

わたしは「コーラスライン」がものすごく好きなんですが、
こちらはブロードウェイの舞台に立つことを夢見るダンサーたちが
バックダンサーの仕事を得るためにオーディションを受ける話。
このオーディションが少し変わっていて、踊りの技術だけではなく
これまでの人生や、ダンサー個人がどんな人間なのか
掘り下げていくという内容なんですよね。
オーディションを受けているダンサーの一人に、ダイアナという女性がいるんですが
彼女は「赤い靴を100回くらい見た」と話すんです。
大好きで、「赤い靴」を見てダンサーになろうと思ったと。
それで私も見てみたかったんですが、ようやく機会に恵まれました。


この作品は、まだ若いダンサーヴィッキーと作曲家のクラスターが、
とあるバレエ団に入るところから始まります。
バレエ団のオーナーであるレルモントフは才能のありそうな人間を集め、
これぞという人物を育てているんですが、
クラスターもヴィッキーも目をかけられ、主役に抜擢され、曲を書き、
「赤い靴」の舞台を完成させるのです。

「赤い靴」はアンデルセンの童話がもとになっていて、
ある貧しい娘がいて、自分の靴を持っていない。
それをある婦人が見て気の毒に思い、赤い靴を買ってあげるという話なんですが、
娘はその靴を気に入って、葬式にも履いていってしまうんですよね。
その場に合わないものなのに脱ごうとせず、最後には脱げなくなってしまい、
足首から一緒に切り落とされてしまう。そういう話なんです。

ヴィッキーはバレエで世に出たいと強く思っていて、
踊ることは生きることと言い切る娘さんなんですが、
彼女は赤い靴を手に入れて、それを履き続けるか、それとも脱ぐのか、
迷いに迷ってどちらも選べずにすべてを失ってしまう。そういう話でした。

バレエのシーンはとても美しく、幻想的でね。
そりゃダイアナも憧れますわ……と納得いく内容。

ヴィッキーは自分を理解し、曲を書くためのインスピレーションの源とし、
彼女の踊りをより美しく見せる音楽を作るクラスターを愛してしまいます。
クラスターも同様に、美しく才能あふれるヴィッキーを愛してしまう。

だけど、二人のプロデューサーであるレルモントフはそれを許さない。
彼は、芸術と愛は両立できないといってヴィッキーを責めます。
バレエダンサーでいるためには、ひたすらに芸の道を歩むしかないと。
結婚して、子供を産んで、家庭に収まって。そんな平凡な道はダメだと。

レルモントフの言い分も、ちょっとはわかるんだよなあ!っていうのがね。
古い時代の作品で、男女の在り方について現代と同じように語ることはできない
そういう前提があってもなお、ちょっとわかるんです。
本当に非凡な、たぐいまれな才能を持った人間は、
芸術だけに身を捧げるべきだ。
そういう生き方をしなければ、才能はみるみる失われてしまうかもしれないわけで。
特に体を使った芸術をする、女性の場合。
老化であるとか、出産であるとか、邪魔でしかないという見方もできるわけです。

ヴィッキーもそれをわかっていて、
バレエへの強い思いが心にあって、
それでもクラスターへの愛も確実にあって、
舞台をとるか、愛をとるか。
本当はね、クラスターがちょっとだけ折れたらよかったんでしょうけど。
この舞台だけならいいよと言える寛大さがあれば、結果は違っていたかもしれない。
だけど人間は嫉妬や、プライドや、意地や、苛立ちにとらわれるもので、
その結果非常にやるせない結末を迎えてしまうという。

普段、自分にはなにもない。何の才能も、確固たる愛がないと思っている人がいたら
どれだけヴィッキーが幸せに見えるだろうかとも思いました。
一人の人生の上に、あまりにも多くのものがありすぎた。
贅沢極まりない悲劇という見方もできる。

自分を通そうとしすぎて女神を失ったレルモントフとクラスター。
多くを持ちすぎ、なにを手放すか選べなかったヴィッキー。

多くを持っていれば幸せなのかというと、そうではない。
人生の妙味が詰まった作品なんじゃないでしょうか。
最後に、ヴィッキーの影を追うようにライトだけが動く舞台を、
観客はどんな気持ちで見たんでしょうね。

いろいろと考えることのできる映画でした。見てよかった。

2016-03-18(Fri)

「ゴースト/ニューヨークの幻」

「ゴースト/ニューヨークの幻」

1990年、ハリウッド映画。懐かしくてつい見てしまった。
ウーピー・ゴールドバーグの出世作であり、デミ・ムーアが本当にかわいくてたまらない。この後G.Iジェーンになると誰が思っただろう。

まじめな銀行員サムと、恋人で陶芸家のモリー。
二人は一緒に生活をはじめ、結婚も意識して、幸せの絶頂にいた。
しかしある夜、突然サムは暴漢に襲われて命を落としてしまう。
銃を持って襲ってきた男からモリーを守ろうとサムは必死に走るが、
男の姿を見失って戻った後、血だらけで恋人に抱かれている自分の姿を目にして驚く。
サムは死に、霊になってこの世にとどまってしまったのだ。

現世に残ったサムはモリーのそばにとどまり、
ある日、自分を殺した男が家に侵入してきて、衝撃的な事実を知ってしまう。
恋人を守り、自分の死の無念を果たすためにサムは動き始めるーー

って話なんだけど、これがなかなか。
男女の恋愛、死後の世界、勧善懲悪、コメディ、復讐、裏切り、修行、謎解きなどなど
目の離せなくなる要素がこれでもかってくらいちょうどよくたくさん詰まっている幕の内弁当みたいな作品なんだよね。それでいてきちんとまとまっていて、見終わったあとはほろ苦く、優しく、ほっとする気持ちにもなれる。すごい名作なのだなと今回改めて思いました。


サムは無念のうちに現世に留まって、同じ死後の世界の住人と出会う。
自分を陥れた人間を知り、自分の声を聞ける霊能者と出会い、
死者でありながらモノに触れられる男に弟子入りして特訓し、
モリーに迫る危機をなんとか追い払い、悪事がなされないよう駆け回る。

インチキ霊能者であったオダ・メイが死者の声を聴けるというのもいいし、
彼女が根はいい人間なんだけど、基本的には自分勝手で利己的なのもいい。
だけどいいやつだから、いろいろもめても最後は許せるっていうのもいい。

サムを陥れ、命を奪った人間にきっちりさばきが下るのもいい。
モリーに寄り添い、命を守ったサムが愛をしっかり伝えたあと、
光の中に去っていくさまもいい。
全部が全部ちょうどいいんだよね。
サムの怒りも、愛も。モリーのやさしさや祈りも。全部いい!

作中に流れる「アンチェインドメロディ」もいいよね。
「同じく」のセリフが効果的に使われているのも素晴らしい。
これほど隙のない作品ってなかなかないよね。
これだけ要素詰め込んで、きっちり2時間に収めているってすごいなあ。

ただただ恋愛を求めている人にはちょっと厳しい描写があるけれどね。
いやでも、デミ・ムーアが本当に可愛い。
ウーピー・ゴールドバーグは割と年齢不詳系だと思うけど、
今見ると若いなあって。いや、面白かったです。見てよかった。

2016-03-14(Mon)

「善き人に悪魔は訪れる」「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

まとめて二つ。両作品とも2014年アメリカの作品。

善き人に悪魔は訪れる

嵐の夜、突然現れた見知らぬ男。
近くで事故を起こして困っているからと言われたら、
まったく善意を見せずにいられるか?

って形から始まる世にも恐ろしい物語。
映画はとある服役囚の、保釈の審理が始まるところから。
傷害致死の罪で5年刑務所に入っている男、コリン。
酒場で恋人に手出しをしてきた男を最終的に殺してしまった、という罪で刑に服しているんだけど、過去に起きた女性5人の殺人事件にかかわっているのではと疑われている身。
彼はナルシストで、自分の思い通りにならない現実を受け入れられない精神の持ち主で非常に危険だと審理の最中に言われ、保釈は結局叶わない。

とても知的で、穏やかで、ハンサムに見えるコリン。
だけどその中身は、審理で指摘された通りの身勝手極まりない男だった。
刑務所への帰り道、同行している護衛と運転手を殺害し、かつての恋人のところへ。
そこでも優しく理解のある顔を見せるも、彼女の現状はすべて調べ済み。
自分ではない男と付き合っている彼女を許さず、あっさりと命を奪い、次に向かうのは……。


サイコスリラー!とか銘打ってますが、スリラーじゃないかな。
これって、こういう人間が本当に実在するんですっていう
ドキュメンタリー的な映画なのだと思います。
だっているもんね。実際にね。最近ちょっと多いものね。
否定されることを受け入れられず、思い通りにいかなくなったときに我慢がきかない上、他人を傷つける精神って。
さらには、他人を痛めつけるためには手段を選ばず、躊躇もしない。
まさに悪魔がやってきたという話。

だけど悪魔がやってきてしまったのにも理由があってね。
やはり、信頼を裏切るのは良くない。ほんのちょっとくらいいいじゃない、ってゆるみの積み重ねが、悲劇を招いた。
ある意味、主人公テリーが襲われたのに理由があったのはちょっと良かったと思えるほど、コリンの理不尽さは際立っておりました。

この映画は、安易に人を信用してはいけない。
自分の身を守るためには少しやりすぎるくらいでいいよって教えてくれるんじゃないでしょうか……。
いや、これ実話をもとに、とかじゃないよね? 
楽しい気持ちになる瞬間はゼロなので、警戒心の薄い人への教材に使うといいかも。



それから、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
タイトルの切れ目がなぜそこなのか気になる、アカデミー賞受賞作品。
主演はマイケル・キートンで、エドワード・ノートン、ナオミ・ワッツなんかも出てます。

すーっと胸に入ってくる映画かというと、ちょっと難しいかもしれない。
人間の負の感情をあますところなく描いて、現実と心の世界をゆらゆら揺れながら、
だけどこれ、ジャンル的にコメディになってるんだよねっていう難しさがある。
笑っていいのかどうか、笑うべきなのかもしれないけど、胸が痛む部分が多くてさ。

主人公であるリーガンは、かつて「バードマン」というタイトルのヒーロー映画で一躍大スターになった俳優なんだけど、その栄光も20年前の「バードマン3」までの話。
自分についてまわる「バードマン」の名を嫌がり、再起をかけてブロードウェイで舞台に挑戦する。
かつて自分の演劇をほめてくれた作家の少しばかり地味な短編を、脚本、演出、主演すべて自分でやろうとしている。
ところが、一緒に舞台に立つ俳優は演技がイマイチ。
けがをしたので代役にブロードウェイでは名の売れた男が来てくれるけど、有能なのに破天荒すぎて舞台のプレビューをぶち壊されてしまう。
付き合っている女の子は妊娠したと言い出し、付き人をやっている娘は薬物依存から抜け出そうとリハビリの真っ最中なんだけど、うまくいかなくて世界で最大級の言葉のナイフを突き立てられてしまう。
さらには、ブロードウェイでは一番の影響力を持つ批評家のタビサの怒りも買う。
彼女は「映画界」からやってきた人間が大嫌いで、そもそも見る気もないくせに酷評してやるとがなりたててくるから。

とまあ、リーガンに起きる出来事はかなりさんざん。
過去のスター、しかもヒーローものしか代表作がないという絶妙な立ち位置に加えて、
現代の大勢の無邪気な一般市民の攻撃、+インターネット拡散の暴力が加わり、
自分はできる、いやできないと表現者ならではの不安な心理状態で世界はグラグラ、
そして、才能のあるなし、自分のほうが上だ、下だ、認められている、愛されている、成功している、見てもらっている、承認に対する欲求とそんなの求めても無駄だというあきらめがぶつかり合って、追い詰められて追い詰められてそして……

カメラワークはとても凝っていて、見ていて飽きない。
物語は濃厚なんだけど、それに加えてリーガンには摩訶不思議な力がある。
これが現実なのか、それとも妄想なのか?
どちらで解釈しても面白いんじゃないでしょうか。

なんにせよ、表現者を仕事にするっていうのは本当に大変なことだと思うんです。
作家や漫画家もそう。映画監督も、ゲーム制作もそう。
もっと大変なのは、自分自身を売り物にし、プライベートと仕事の境界線があいまいな、
世間に姿をさらし続けている俳優やアーティストたちなんじゃないでしょうか。

他人への妬みや、自分との比較、本音だからこそ許せない言葉もあり、真実なのに受け入れられない出来事もあり。人間はいつも複雑で、だからこそアーティストと呼ばれる人たちは、たびたび追い詰められるのだろうなあと思います。はい。

ラストシーンについても、解釈の仕方がそれぞれ分かれるんじゃないかな。
単純に明るく、奇跡が起きたのだと思ってもいい。
悲しいけれど、すべては夢だったのだと考えてもいい。
そんな映画なんじゃないでしょうか。
本来はもうちょっと気楽に、いろいろ笑い飛ばしていいのかもしれないけど、
だけど私のような感傷的な観客にはそうできないかなと思います。

ただアレだよね。あれだけ意地悪な批評家がほめたポイント、ズレてんなってw
それだけは大勢と共感できたらいいかな。

にしても、エドワード・ノートンのちょっとサイコな奴やらせたらすごいのよ感は相変わらずでうれしかったです。

2016-03-13(Sun)

「ジュマンジ」

「ジュマンジ」

1995年ハリウッド作品。
主演はロビン・ウィリアムズでお久しぶりな気分になりました。

お父さんとうまくいってない多感な時期の少年が、
たまたま土の中から発見したひとつのボードゲーム。
遊ぶつもりってほどじゃなかったけど、
サイコロを振ったらスタートしてしまって、
中央に浮かび上がった文字通りの出来事が起きてしまう。
それがまた、とんでもないことばっかりで、
クリアしない限り消えないというトンデモ仕様だった……
というお話。
ゲームの名前がジュマンジで、そのまま映画のタイトルになっている。

このタイトルだけはやたらとインパクトがあって覚えていたけど
映画自体はみていなかったのでWOWOWありがとう的な感じで視聴。
ものすごくわかりやすいエンタメ作品で、面白かった。
こんなゲーム絶対やりたくないよってな呪いのボードだよね。

ジュマンジの世界は荒っぽいジャングルと獣で構成されていて、
主人公を心配してやってきた幼馴染のサラがまず、
吸血コウモリの大群に襲われる。
次にサイコロを振ってしまった主人公のアランは
「誰かが5か8を出すまでジャングルで待つ」。

それから26年、アランが住んでいた屋敷は廃屋になっており、
そこへやってきたのがノラという女性。
兄夫婦が事故で亡くなり、ジュディとピーターという姉弟を引き取って
ここでペンションでもやろうと考えているのだが、
引っ越し2日目に姉弟は学校をサボることに。
ジュマンジはプレイヤーがいないと、ドコドンドコドン太鼓を鳴らして
人を呼び寄せるという呪い仕様だから。

うっかりゲームを始めてしまった姉弟は暴れサルやらライオンに襲われてしまうも、
ピーターが「5」を出したお陰でアランが帰還。
完全にターザンと化したアランは、家が他人のものになり、
父の事業が失敗し、それどころか母とともに既に故人になっていたという
現実に打ちのめされてしまう。

毒性の強い蚊や野生の生き物たちを追い払うためには
ゲームを最後までやらなければならない。
アランはなんとか説得できたものの、サイコロを振っても反応はなく、
ボードの上には4人分のコマが……と幼馴染のサラを強引にさらって参加させる。

プレイするだけでも超大変なジュマンジを、4人はクリアできるのか!
という愉快な物語でした。

野生の生き物や特殊な植物などに関しては、
CGのレベルの黎明期具合がかわいらしくてなんだかほっこり。
あとは、ロボットとかでなんとかしてるのかな。クモがいい味だしてる。

町が混乱に陥って、ドサクサに紛れて窃盗してる人が多いところなんかも
多少時代を感じたかなあ。
子供がみたら楽しい映画だと思いました。

ロビン・ウィリアムズが若くてね。
いい役者だったなあって少ししんみりもしました。