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2016-05-26(Thu)

「スガラムルディの魔女」

スガラムルディの魔女

2013年、スペインの映画。
いやーとんでもないものみたなーw というのが素直な感想です。

ざっくりしたあらすじを書くと、
妻とは離婚し、可愛い息子と週2回しか面会できない
失業中のダメ男ホセが同じように食い詰めた面々と
宝石強盗を働き、逃走するんですが、
逃げた先が魔女の伝説が残る場所スガラムルディ。
でも、伝説なんかじゃなくて、ホントにいるの。魔女って。

で、もー大パニック!

っていう内容。

最初は、ちょっとホラーなコメディなのかなーって思っていたら
魔女の宴が始まったあたりがすごくてね。
こいつはあかん!って気分になる箇所がちらほら。

たまたま乗り込んだタクシーの運転手と乗客、
追ってきた二人の刑事と、ホセの元妻も巻き込んで超大パニックでしたよ。
小ネタがいちいち笑わせてきて辛いw
いわゆる特殊効果的な部分は、若干甘いかな。
だけどそのお陰で笑えるので、よいのではないでしょうか。

魔女の母、祖母たちを裏切るセクシーなエバがいいし、
最初は「女なんかくそくらえ!」って言ってた男たちが追い詰められすぎるし、
最後の最後は「うわああああー」ってなるので、
最近刺激が少ないわ って人は見たら楽しいかもしれませんが、
割とグロいとこもあるので注意です。

EDの歌がまたなんとも言えない感じで、笑っちゃったよねw
すっごくいい!とは言えないけど、愛すべき作品。
映像的には飽きない作り、だと思いました。
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2016-05-24(Tue)

「21グラム」

「21グラム」

引き続き、イニャリトゥ監督祭りを継続しています。
こちらは2003年の作品。
これもまた、少しばかり難解に見える作りの映画でした。
過去と現在が細切れになって交錯し、なにがどうしてこうなったのか
最後にやっとわかるっていう。
主演はショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、ナオミ・ワッツなど。


タイトルの21グラムは、人の魂の重さといわれている数字です。
人が死んだとき、体重が21グラム減る。そういう実験結果があり、発表されております。

この映画のテーマは、やっぱり人生でした。
生きて、いつか死ぬ。その間にある時の中で、人はなにを見てなにを思うのか。
イニャリトゥ監督は人の命をじっと見つめ、考えている人なのでしょうね。


この映画の中で起きたすべてが、細かく砕かれ、
順番をミックスされて繋がれているので、
なにが起き、どうなったのか、しっかり見ていないとおいていかれてしまうでしょう。

登場人物は、
心臓に病を抱え、余命があと一か月と言われている大学教授とその妻。

前科があるものの、キリストの教えに出会い、人生をやりなおそうとしている男と、家族。

そして、かわいい娘二人と優しい夫と暮らしている一人の女性です。


キリストの教えに従い、まっとうに生きようと日々を過ごすジャック。
彼はある日、うっかりして事故を起こしてしまう。
車をターンさせた時横断していた父と娘たちに気が付くのが遅れ、
三人をはね、そのまま逃走してしまうのです。

家族の帰りを待つ母、クリスティーナにかかってきたのは一本の電話。
帰ってくるはずの夫と二人のかわいい娘たちが事故にあったと。
病院にかけつけるも、夫は重症、娘たちは既に命を落とした後。
懸命な治療の甲斐もなく、夫も脳死の状態になります。
すぐに臓器提供の話が持ち掛けられ、クリスティーナはそれを受け入れる。

脳死してしまった夫マイケルの心臓は、移植を待つ大学教授ポールに埋め込まれます。
健康を取り戻し、冷え切っていた夫婦仲はすこし回復。
だけど、一度入った亀裂をきれいに戻すのは難しい。
一度は夫を見限り、中絶していたことがわかって、
人工授精をするという妻メアリーを、マイケルは拒絶します。

死んでしまうからもしれないから、という理由で、メアリーは子供が欲しかった。
だけど、死んでしまうのにこどもをもうけるのですか?とマイケルは言われてしまう。

非常にシビアな、三人の運命が描かれます。

こどもと夫を失って、クリスティーナは荒れに荒れてしまう。
むかしやっていた薬を再び手に入れ、感情のままに他人に当たり、
まともに食事もとらないような生活に陥ってしまう。

一方で、罪のない家族を殺してしまったジャックも苦しみます。
現場から逃げ、妻はなんとか夫を捕まらないように偽装します。
もう収監されてほしくない。バンパーについた血を洗い流し、証拠を消し去ろうとする。
結局ジャックが犯人だとわかって逮捕されるものの、
証拠不十分で起訴はされない。
妻はほっとするものの、小さな女の子を轢いてしまった瞬間の光景が目に焼き付いて
自分の罪の深さにジャックは苦しみます。


子を持てずにきてしまったマイケル。
子供を失ってしまったクリスティーナ。
子供を殺めてしまったジャック。

マイケルは、自分に心臓を提供したのがだれなのかどうしても知りたくて、
調べ、不幸な事故について知ります。
クリスティーナに近づき、彼女の深い苦悩を知る。
二人は近づき、仲良くなるも、心臓移植について告げられ、心が乱れる。
一度は安らげると思った相手の意外な正体に、クリスティーナは激昂。
だけどやっぱり、寄り添ってくれる人の温かさは救いになる。
でもやっぱり、ただ受け入れるなんて、できなくて……。

とまあ、クリスティーナに用意された運命は本当に過酷。
マイケルも、拒絶反応が激しくなり、また移植を待つ暮らしは嫌で、
ジャックは罪の意識に苛まれ、

そして最後、クリスティーナの叫びが三人の運命を変える。
ジャックを殺してほしいとマイケルにいうのです。

銃を用意してジャックのもとへ向かうマイケル。
だけど冒頭から細切れの状態で見せられていた映像は、
血だらけになったマイケルなんだよね。
クリスティーナに抱かれ、ジャックが運転をして病院へ走っている。

それがどうしてなのか。
悲しくて、やるせないです。人生ってどうしてこうもうまくいかないのかなって。

だけど不幸のどん底にたどり着いたあとには、
上り坂が待っているものでして。
最後の最後にうっすらと希望の光がさしてきて、終わります。
物悲しいエンディングですけどね。
人がどうして生きて、どうしていろんなことが起きて、
願いがかなったりかなわなかったり、時には根こそぎ奪われて。

この作品は、人として生まれたことをまっすぐに見つめているように思いました。
バベル、BIUTIFULは、人生の不思議を見つめていて、
21グラムは人間そのものを見つめているような、そういう差を感じました。

人生って、楽しいばかりではありません。
とはいえ、ここまで苛烈な体験を私はしたことがありません。
それがいかに幸せなことなのか、思い知らされますね。

そしてどんなに辛くとも、やはり、人生は続くものだよと。
失って失って、時に得て、それもまた失って。
繰り返しながら人は生き、死んでいく。
当たり前のようで、当たり前ではない、命の不思議を、私も少し考えてみようと思います。

2016-05-23(Mon)

「バベル」

「バベル」

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品。
イニャリトゥ祭りの一環でやっていたので視聴。
2006年の作品なんだね。
三つの場所で進行する、四組の家族のドラマ。
バラバラの場所で起きた事件や日常は細い糸でつながっていて、
これが神の下した罰なのだな……と最後はしんみりする一本でした。

モロッコで旅行中のアメリカ人夫婦を
ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットが。
日本のとある親子を、役所広司と菊地凛子が演じております。

舞台はモロッコ、メキシコ、日本の三か所。

モロッコでは、旅行中のアメリカ人夫婦のうち、
妻のスーザンが狙撃される事件が発生。
この夫婦と、狙撃してしまった少年たちの家族の物語が進みます。

メキシコでは、モロッコ旅行中の二人の子供のベビーシッターである
アメリアが息子の結婚式に行き、てんやわんや。

日本では、聾唖の女子高校生千恵子の葛藤が描かれる。

リチャードとスーザンは子供を置いて旅をしていたら、
銃の試し撃ちをしていた兄弟の、弟が撃った弾に打ち抜かれ、
満足な治療も受けられず、国同士の牽制なんかもあって
すぐに手が差し伸べられずに、果たして生きて帰れるのか、
また、遊び半分で銃を扱った兄弟とその父親が
警察に追われる様子も描かれます。
一緒にバスに乗っていたほかの観光客たちとも足並みがそろわず、
リチャードもスーザンも窮地に追い込まれてしまうという流れ。

メキシコ編は、リチャードとスーザンが予定通りにもどってこられず、
本当なら休みを取れるはずだった息子の結婚式の日に、
アメリアはやむを得ず、子供たちを連れて国境を越えてしまうという流れ。
代わりに来てくれる誰かがいなくて、とにかく頼むよと押し切られ、
仕方なく最後の手段だと、二人のかわいい子供たちを連れて行っちゃうんですが、
その帰り道、少しばかり酒の入った甥に運転を頼んだばっかりに
無理な国境越えからの砂漠へ放り出され、炎天下でさまようという
非常に恐ろしい展開に。

そして一見無関係に見える日本。
聾唖の少女千恵子の、いらだちに満ちた日常が描かれます。
学校に通い、友達もいて、時にはイケイケで遊ぶ千恵子ですが、
非常にイライラしていて、心配してくれる父親へのあたりも強い。
それがなぜなのか、少しずつわかっていきますが、
ここが一番難解かもしれない。

タイトルの「バベル」は、旧約聖書に出てくるバベルの塔から。
要約すると、
人間が神に迫ろうと高い高い塔を建て、神はそれに怒ってズバーンと。
ズバーンとされた人間たちは、言葉が通じなくなってしまう。
それまでは同じ言葉を使い、同じ思想で暮らしていた人たちが、
違う言葉をもって世界へ散っていった、
みたいな内容になります。

今も世界は、違う国、違う人種、違う言語、違う風習、違う法律、違う文化で満ち溢れています。
神の下した罰は今もなお続いていて、世界が一つの理想に集約される日は来そうにありません。

この映画が言いたいのは、違う習慣、違う言葉に人々のコミュニケーションが阻害されているということ。
それから、阻害されながら、行き違いがありながらも、人々は心を通わせられるのだということだと感じました。


モロッコを舞台にしたリチャードとスーザン夫妻が見舞われる不幸は、
単純に言語や文化、国の違いによる苦労を描いております。

メキシコは、ほんの少し違った場所に生まれただけで
こんなにも扱いが違うことへの苦悩が描かれているかと思いました。
アメリカとメキシコの国境付近での争いや、取り締まり、不法な入国に関する問題は
メキシコ側の人たちからすると苦しいものなのだろうなと。
もちろん、アメリカ側の意見もわかる。けれどどう見ても、一方が上で一方が下になっている。

とんで日本では、もう少し複雑な心情が描かれております。
日本での主人公の千恵子は、聾唖でしゃべれず、イケてる女子高生になりたいのになれない。
かっこいい男の子に目をつけられても、障碍がわかった瞬間彼らは潮のように引いていく。
あ、そうですか。俺たちとは違う世界のヒトなんすね、みたいに。
それが悲しくて寂しく、悔しく、腹立たしくて、
さらには、彼女には守ってくれる父親がいるけれど、
母親は亡くしたばかりなんですよね。
しかも、自殺していなくなってしまった。

千恵子の母親が死んだ理由は語られませんでしたが、
親が自ら死を選び、残された場合、子供は傷つくと思います。
自分への愛はなかったのか。一緒に生きていってもらえなかったのか。
自分という人間の価値を大きく揺るがせる、あまりにも悲しい要素になるのではないかと思うのです。

千恵子は若い女の子らしい遊びに興じるものの、
同じ年の健康な子とまったく同じというわけにはいかず、
それにずっといらだち、悲しんでいるように見受けられました。
見た目の良さも足かせになったのかなと、思うんです。
彼女はたぶん、トモダチよりも自分の方がきれいだと感付いていて、
それなのに選ばれないという、こちらも価値観を揺らす原因になっているのかなと。
それに加えて、自分を大切にしてくれる父への愛憎もあって、
母が死んだ理由は、父が銃を持っていたからではないのかな、というのもあり、
大事にしてくれるけれど、年齢的なものもあって素直になれず、
めちゃくちゃに乱れて女になってしまいたいけれど、
父のことを思うと、そこまで堕ちてしまいたくもない、
そんな思春期の混沌が、千恵子の中に詰まって詰まって、
最後に爆発してああなったのかなあって。

最後に刑事さんに渡したメモにはなにが書かれていたのか。
あの表情からすると、彼女のさみしい胸の内だったのかなと思わなくもありません。
あんな真似をしてごめんなさい、だけど耐えられない、みたいな内容だったんじゃないかと
思ったりしました。

親子は手を取り、父は娘を抱きしめる。
お互いに妻と母を失った悲しみから立ち直る第一歩だったんだろうな、で終わり。


小難しい日本編の話ばっかりになっちゃったなあ。

結局、撃たれたスーザンはぎりぎりで助かる。
撃ってしまった少年は警察に追い詰められ、兄を失ってようやく真実を語りだす。
預かった子供と砂漠に放り出されたアメリアは、
子供たちとともになんとか助かるけれど、メキシコへ送り返されて仕事を失う。

世界にはたくさんの日常と、たくさんの事件があって、
それがすべて複雑に絡み合い、遠い世界のほんの些細な出来事が
思わぬところまで影響を及ぼしていて、
人間はそれに時には正しい心で、時には間違いながら、
命続く限り生きていくんだよとかそういう感じなのかな。

これが世界のあり方だと、監督はいいたいのかもしれません。
そう考えられない場合、この映画はちょっと長いだけの駄作になるだろうなーって
そんな風に思いました。見ていて胸が痛くなる映画でございました。

2016-05-20(Fri)

「シカゴ」「NINE」

「シカゴ」と「NINE」。
どちらもロブ・マーシャル監督の作品で、
シカゴは2002年。NINEは2009年に制作されたミュージカルです。

両方ともめちゃめちゃ好きで、これまでになんども見てるので
また見たついでに記録しておこうと思って。

まずは「シカゴ」。
主役であるロキシー・ハートをレニー・ゼルウィガーが。
彼女が憧れ蹴落とす相手、ヴェルマ・ケリーをキャサリン・ゼタ=ジョーンズが演じてます。
二人はそれぞれ殺人を犯し投獄され、
敏腕弁護士をやとって無罪を勝ち取ろうとするという
非常にインモラルな話なんですけれども、
そのあまりの身勝手さや、女性のいいとこ悪いとこ全部まとめて
見せてくれる業の深い作品なんです。
とはいえ、映像は軽やかでキラキラ。エンタメですよ。
女性の殺人犯を専門にしているお金大好き弁護士ビリー・フリンはリチャード・ギアが。
こちらもお金大好きな看守役を、クイーン・ラティファという隙のない配置。

さえない夫に愛想をつかして早何年なんだろうな、
スターを夢見るロキシーは、劇場の支配人とトモダチだという
フレッドと愛人関係にあります。
今日こそ支配人に紹介してよね、と思いながらロキシーが見つめる先には
舞台の上で歌い踊るヴェルマの姿が。
ヴェルマはこの日、夫と妹を殺害してきたところ。
一緒に舞台に立つ妹と、マネージャーである夫が浮気をしている現場を見てしまい
激昂して二人を射殺し、でもすぐにバレて逮捕されてしまいます。

一方のロキシーも、最初はよろしくやっていたフレッドが最近冷たい。
舞台に立ったらこんな風に自分を演出したい、スターになりたいと
フワフワしたことばかり言うロキシーにフレッドは冷たく言い放ちます。
支配人とトモダチなんでウソだよ、と。
お互いいい思いしたしいいじゃないか、とうそぶく男に怒って、
ロキシーもまた引き出しに隠していた銃を取り出して引き金を引いてしまう。

美しい犯罪者にライトを当て、裁判をショーアップして楽しむ。
それがシカゴという町のやり方だ……なんてことを本編でいうんですけどね。
確かに、見目麗しい者は罪人だろうが関係なくピックアップされます。
殺人犯として投獄された女性たちは、記者がやってきて写真を撮られているうちに
スターになっていく……スターになった気になってしまう……
っていう話なんですよ。

シカゴの舞台は女子刑務所で、いろんな理由で人を殺めた犯人が出てきます。
一番目立って、一番記事にされて、一番センセーショナルで、一番撮られたい。
ロキシーはヴェルマに張り合い、哀れな夫を騙し、ビリーと一緒になって
無罪を勝ち取るべく裁判に挑むのですが……。

まーよくできた面白いミュージカルなんですよ。
これ、普通に撮ったら「お前なにいってんだ」ってなるところなんですけど
歌と踊りにいざなわれている間に楽しく見られちゃう。

ロキシーのちょっとブスかわいい、エロい感じがすごくうまいし、
ヴェルマの迫力ある声がいいし、
なによりも愛だよね!と白々しく歌うビリー、
犯罪者をスターにすることでピンハネする看守のママ・モートンも最高。

冷静になったらダメ。だってもう、お前ら自分がなにやったのかわかってんの?ってなるので。
善悪とかそういう部分はおいといて、目と耳で楽しむといい映画だと思います。

もちろん、悪事を働いた人間に世間は厳しいし、現実は非情だし。
だけど女たちはたくましく、美しい。そんな映画です。大好き。


そして「NINE」。
こちらは「8 1/2」という映画をもとにしたミュージカルの映画化で、
フェデリコ・フェリーニの自伝がベースになっている。

イタリアの映画監督、グイド・コンティーニがスランプに陥り、
人生の中で深くかかわってきた女性たちとのあれこれが
夢のように繰り広げられていくという内容です。

こちらの物語は、すごく単純に考えるともう、クズ男が!ってなっちゃう。
グイドには美しい元女優の妻がいるんだけど、
可愛い人妻の愛人がいて、ファンだと寄ってきた女性記者をつまみ食いし、
オーディションで若い女優の卵に粉をぱっぱと振りかける。

グイドを取り巻く女性は全部で7人。

愛するママ。長い間一緒にやってきた理解者である、衣装デザイナーのリリー。
かつて自分の作品で起用した女優である妻、ルイザ
少し頭が弱いものの、愛らしくて一途な愛人、カルラ
何作も主演をやってもらった有名な女優、クラウディア
監督が大好きとあっけらかんと寄ってくる女性記者、ステファニー
そして少年時代のグイドに女とはどんなものであるか教えた、娼婦のサラギーナ。

それぞれ、美しい女優が演じているんです。
ママはソフィア・ローレン。長年の相棒リリーはジュディ・デンチ。
キレる妻ルイザは、マリオン・コティヤール。
エロかわいい愛人はペネロペ・クルスで、
インスピレーションを与え続けた主演女優はニコール・キッドマン。
映画オリジナルで追加された女性記者は、ケイト・ハドソンで、
怪しげな魅力を爆発させた砂浜の娼婦はファーギー。


グイドはスランプに陥っていて、映画を作れない。
ところどが世間もスポンサーも彼を逃がさない。
適当にでっちあげたタイトル、プロットを会見で発表し、
なんとなーくこういう感じと衣装を作らせているけど、
肝心の映画そのものの中身は決まっていない。
グイドは逃げ出し、愛人とイチャイチャする。
思い出と現在が交錯し、彼の人生と女性たちの物語が次から次へ。
そしてとうとう妻に愛想をつかされ、
からっぽになってしまったグイドは「映画は作れない」と引退するも……

みたいな話。色男め、もげろ!ってな感じの話なんですけどね。

この物語については、各々の許容範囲があると思うので、
どこまで許し、どこが許せないかズレてくるかなあ。

だけどこの女性たちのそれぞれの美しさと、
グイドに向ける愛の性質の違いは非常に楽しめる内容なんじゃないでしょうか。

最初の最初に、まず愛人が登場して歌ってくれるんですけども
(いや、本当はママが最初なんだけどさ)
これがまあ、いやらしい!ペネロペ・クルスすごい!ってなる。

幼いグイドにインスピレーションを与えた、フォリー・ベルジェール。
砂浜で出会った娼婦のサラギーナの妖艶さ。
あっけらかんとした明るい魅力のステファニーに、
愛しているのに「女優」としてしか見てもらえないクラウディアの悲しみ、
そしてとうとう爆発した、夫に心底愛想を尽かした正妻の怒りのストリップ。

どれも全部、本当に美しいんです。女性ならではの美しさが存分に描かれる。
特に印象に残るのは、砂と椅子を使ったサラギーナと、
愛を与えつくした妻の、静かだけど激しい怒りのステージじゃないかな。
ステファニーの明るい「シネマ・イタリアーノ」もすごくステキなんだけど、
とにかく思うのは、ロブ・マーシャル監督は女性の美しさを描く天才じゃないかなってことです。

シカゴでもそうなんですけど、衣装も振り付けも本当に素晴らしい。
(監督は振り付け師でもある)
これが一番、女性の美しさを魅せられる、って思って作ったんじゃないかなって感じるんですよね。
男女は平等であるべきだけど、同一にはなりえません。
女性は女性ならではのものがあるでしょって、言われているような気分になる。

ビリー・フリンが乗っている女体の車も、
ボンデージファッションに身を包んだ女囚たちも、
砂をまき散らしながら男に愛を説く娼婦も、
清らかに叶わぬ恋心を歌う高嶺の花の女優も、全員みんな美しい。

なんつって、「イントゥ・ザ・ウッズ」は先日見てイマイチだったんだけどね。
またこういう、監督に向いている作品作ってほしいなって思います。

2016-05-18(Wed)

「おみおくりの作法」

おみおくりの作法

2013年イギリス・イタリア制作映画。
舞台はイギリス、ロンドン。泣いたよ!


主人公はロンドン市内のケニントン地区の民生委員のジョン・メイ。
44歳で独身の彼は、孤独死した人の後始末が仕事。
一人ぽっちで亡くなってしまった人の家族を探し、
遺品を整理し、丁寧に葬儀をあげる。
家族を探し出し連絡をして、
残された写真や持ち物から丁寧な弔辞を作って自ら参列までする。

そんな仕事を22年も続けてきたある日、
コストカットを理由に彼の部署はなくなってしまう。
仕事が丁寧なのはいいけれど、時間をかけすぎ。
死んだ人間に感情などないのだから、
ちゃっちゃと火葬すればいいじゃない、と上司から言われてしまう。

自分の住まいの向かいのアパート、ちょうど真向いの部屋で
ひっそりと死んでいたビリー・ストーク。
彼の家族を探し、葬儀をあげるのがジョンの最後の仕事になる。
もうクビを申し渡されたけれど、最後までちゃんとやらせてほしい。
ジョンはそう申し出て、ビリーがどんな人物だったか探っていきます。


ものすごく静かな映画でした。
優しいとか、穏やかとかではなく、とにかく静か。
ジョンの仕事ぶりも静か。

孤独に死んでしまう人というのは、みんなワケありな人物なんでしょうが
それでも、ひっそりと一人で逝ってしまった人たちに対して
ジョンはひたすらに誠実なんです。
途中、ジョンだけが参列する葬儀の様子が出てきますが、
彼の作った弔辞だけでどれだけ誠実な人物かわかると思います。

ビリーは少々暴れん坊だったようで、
彼の過去を知る人物たちはみな、語る口が重たい。
いいやつだったけどね。
優しいところもあった。でも……。

ビリーの残していたかわいい女の子の写真を手に、
ジョンは故人の足跡をたどっていきます。
そしてとうとう、写真の娘に行き着く。

父に見捨てられていたと思っていた娘は、
葬儀には参加したくないと答える。
ジョンは、「気が変わったら来て」と優しい答え。

そして、結構ショッキングなラストへ……。


なんちゅー悲しい映画なんだ!って思うんですよ。この時点で。
なんでこんな運命を用意するの?って。
で、本当の最後の最後で涙がじゃー。

だけどこの作品が訴えたかったものは、
劇中でジョンに突き付けられた強い否定に対しての「いいえ」だったのかなって。
毅然とした態度で、そんなことはありませんよと、言い放つようなラストでね。

誰しもそれぞれの人生があって、
その中で、完全な孤独なんてないんだよって、
そう言いたいのかなあと思いました。

ほんと、ちゃんと生きようって背中がしゃんとする映画でした。
みてよかった。