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2016-05-30(Mon)

「レヴェナント 蘇りし者」

レヴェナント 蘇りし者

2015年、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品。
主演はレオナルド・ディカプリオで、
2015年度のアカデミー賞、主演男優賞、作品賞、撮影賞を取った作品。

ここまで、「21グラム」「バベル」「BIUTIFUL」「バードマン」と見てきて
私はたぶんイニャリトゥ監督が好きになったのでしょう。
ディカプリオは好きだけど、どうしよっかなーという迷いが
監督のこれまでの作品をみたら飛んで行って、
でもそろそろ上映終了だしと慌ててレイトショーを見に行った次第です。

舞台は、19世紀のアメリカ。
主人公はヒュー・グラスという名の男で、伝説となった人物、
つまり実話をもとにして作られている話です。
彼は、熊に襲われて瀕死の重傷を負い、仲間に見捨てられたけれど、
たった一人で生還してきたと言われております。

この史実に脚色が加えられて作られたのが今作「レヴェナント」で、
グラスにはネイティブアメリカンの妻がいて、息子もいます。
妻は子供が幼いころに殺され、今は息子と共に毛皮を採集するチームにやとわれていたんですが、
熊と戦い深い傷を負って、このままでは助からないと判断されたグラスは
チームと別れ、息子ホークと、反りが合わない自己中なフィッツジェラルド、
まだ若くて誠実なブリッジャーと共に森の中に留まります。
グラスはもう持たないから、その最後を見届け、埋葬をしろと、
隊長に命令されて残るんです。
だけど、フィッツジェラルドは早く戻りたい。
狩猟を行っていたのは、現地のアリカラ族の支配する土地で、
見つかると襲撃されちゃうんです。
だから、チームと早く合流したいし、早く報酬を得て、
雪の中でひいひい言いながら働く暮らしを終わらせたいのです。
なので、ブリッジャーがいない隙に、フィッツジェラルドはグラスを殺そうとします。
ホークに見つかって未遂に終わったものの、かわりにホークが命を奪われてしまう。
愛する息子が目の前で死んでいくのに、助けられないグラス。
熊との戦いは本当に激しく、酷い傷を負っていたせいで、声も出せない。体ももちろん動かない。
ホークがいない理由を、戻ってきたブリッジャーは問います。
その時も、言えないまま。あいつが殺したんだと言えないまま、
フィッツジェラルドは嘘をついてブリッジャーをそそのかし、
結局グラスを置き去りにしていってしまうんです。

そこから始まるグラスの旅。
冷たくなった息子に寄り添い涙を流し、
雪の中を這って、這って、這いつくばって進みます。
傷も全然ふさがってなくて、水を飲んだらのどから血がじゃあじゃあでてくる始末。
背中、首、足、腕、顔も、すべて、大きな熊との死闘でボロボロ。
しかもずーっと雪の中なんです。ふぶいてくるし、川にも落ちる。
矢で撃たれるし、銃も向けられる。
それでも前に進んで、進んで、グラスは生き抜いて、
とうとう憎い息子の仇へと行き着き……。

という話なんですが、映像がとても美しくて、
この映像だけでも見る価値があるかもしれない、とまずは思います。
自然が作り出した形の美しさ、厳しさ。
見上げた先に輝く星と、夜空の色の美しさ。
そんな中を進む人たち、それぞれの思いも様々でして、
搾取され、踏みにじられる者もいれば、
ひたすらに奪うばかりの者もいます。
裏切りや見下す者ばかりかと思えば、
手を差し伸べてくれる者もいます。

世界と人間は、こうやって命をつなげてきたんだよと
言われているような、そんな気分になることでしょう。
人間の弱さも、強さも全部入り。
そして、今とは違う、ほんの100年かそこら前には、
こんなにも厳しく激しい自然と闘う人々がいたのだなあと。
ものすごく月並みなんですけど、伝わりました。

ディカプリオ演じるグラスの、生きる執念がすごい。
食べるものは全部生だし。牛も魚も生で食べ、落ちている死骸からむしりとったカケラも食べる。
極寒の地で生き抜くためには、ありとあらゆるものを使わなきゃいけない。
結構とんでもない映像が出てきますけども、
それにうわああーっとなりながら、
それでも目を離せずに、最後まで、ドキドキしながら見続けました。

最後の最後、グラスはどうなったのかなって思ったんです。
イニャリトゥ監督ははっきり描かない方なので、
見ている側にゆだねているんだろうなーって思うんですけどね。

最後のシーンが終わって、エンドロールが始まるんですが、
曲の間、音が途切れると、たぶんだけど息遣いが入ってるんですよ。
苦しげな息遣いが、ふう、ふう、って。

それが本当に一番最後は、ふきすさぶ風の音だけになっていてね。
だけどそれは命ではなくて、燃え上がっていた復讐心が消えたのかなと
私は思いました。
グラスを支えるのは、妻と息子を失った無念なんだけど、
奥さんは彼に、心を穏やかにしてほしいってずっと伝え続けていたと思うので。

あの情熱が消えてしまったら、生きて帰れないような気もするんですけどね。
だけど、怒りの炎を消して、また生きていけたらいいなって思いました。

すごい映画でした。本当に、映像の力を思い知らされたなと。そんな感じ。

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2016-05-27(Fri)

ポケットモンスターX

おととしの映画を見てからポケモンを始めて、
X→オメガルビーと乗り換えたんだけど、
ここにきてルビーとX交換してよって頼まれたので
ポケモンバンクを駆使してXへ戻ることに。

最初に遊んだ時にはなんとも思っていなかったどころか
説明不足なんじゃないの?って感じていた演出部分。
ティエルノ、サナ、トロバの3人とお隣さんの襲撃は急すぎるし
わーっと言いたいことだけ言って去っていくばかりなので
なにがなんだかなあって思っていた。

だけどこの二年近く、アニメのポケモンを見るようになって、
ポケモンへの好感度はギューンと上がっていた。
今放送されているXYシリーズは(今はXY&Zだけど)
長らく旅を続けているサトシがよく成長しているし、
一緒に旅をするセレナ、シトロン、ユリーカもそれぞれ可愛らしく
みんなちゃんと夢を見つけ、追って、頑張って、
さらにはライバルもしっかり描かれていて
なによりも絵がいい。作画が本当に素晴らしい。
どうしてディスクにして販売してくれないのかわからない。

シナリオやカメラワークにも隙がなくて、
見ていて嫌にならないのです。
わたしは個人的にアニメは好きじゃないのですが
ポケモンとレゴはかなり好き。

アニメですっかりみんなの好感度があがったので、
ティエルノやサナがわけわかんなくても大丈夫に。
むしろ最初からやり直せるのがうれしいくらいw

で、ポケモンのかわいさも存分にアニメで伝えられているので
ポケパルレがかわいくてしょーがない。
特に、テールナーとヌメラ。すごい。めっちゃ可愛い。
もう進化させたくない。腰が抜けそうなかわいさ。

ルビーから大量にポケモンをつれてきたので、
ルクシオからのレントラーなんかも育てているんだけど
Xはなにせジムが遠い。なかなか出てこないので、
そろそろいうことを聞かなくなってきたw

とりあえずサン&ムーンが出るまでは
のんびりテールナーちゃんとふれあっていたいなって。思います。
ポケモンっていいゲームだね。

2016-05-26(Thu)

「スガラムルディの魔女」

スガラムルディの魔女

2013年、スペインの映画。
いやーとんでもないものみたなーw というのが素直な感想です。

ざっくりしたあらすじを書くと、
妻とは離婚し、可愛い息子と週2回しか面会できない
失業中のダメ男ホセが同じように食い詰めた面々と
宝石強盗を働き、逃走するんですが、
逃げた先が魔女の伝説が残る場所スガラムルディ。
でも、伝説なんかじゃなくて、ホントにいるの。魔女って。

で、もー大パニック!

っていう内容。

最初は、ちょっとホラーなコメディなのかなーって思っていたら
魔女の宴が始まったあたりがすごくてね。
こいつはあかん!って気分になる箇所がちらほら。

たまたま乗り込んだタクシーの運転手と乗客、
追ってきた二人の刑事と、ホセの元妻も巻き込んで超大パニックでしたよ。
小ネタがいちいち笑わせてきて辛いw
いわゆる特殊効果的な部分は、若干甘いかな。
だけどそのお陰で笑えるので、よいのではないでしょうか。

魔女の母、祖母たちを裏切るセクシーなエバがいいし、
最初は「女なんかくそくらえ!」って言ってた男たちが追い詰められすぎるし、
最後の最後は「うわああああー」ってなるので、
最近刺激が少ないわ って人は見たら楽しいかもしれませんが、
割とグロいとこもあるので注意です。

EDの歌がまたなんとも言えない感じで、笑っちゃったよねw
すっごくいい!とは言えないけど、愛すべき作品。
映像的には飽きない作り、だと思いました。

2016-05-24(Tue)

「21グラム」

「21グラム」

引き続き、イニャリトゥ監督祭りを継続しています。
こちらは2003年の作品。
これもまた、少しばかり難解に見える作りの映画でした。
過去と現在が細切れになって交錯し、なにがどうしてこうなったのか
最後にやっとわかるっていう。
主演はショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、ナオミ・ワッツなど。


タイトルの21グラムは、人の魂の重さといわれている数字です。
人が死んだとき、体重が21グラム減る。そういう実験結果があり、発表されております。

この映画のテーマは、やっぱり人生でした。
生きて、いつか死ぬ。その間にある時の中で、人はなにを見てなにを思うのか。
イニャリトゥ監督は人の命をじっと見つめ、考えている人なのでしょうね。


この映画の中で起きたすべてが、細かく砕かれ、
順番をミックスされて繋がれているので、
なにが起き、どうなったのか、しっかり見ていないとおいていかれてしまうでしょう。

登場人物は、
心臓に病を抱え、余命があと一か月と言われている大学教授とその妻。

前科があるものの、キリストの教えに出会い、人生をやりなおそうとしている男と、家族。

そして、かわいい娘二人と優しい夫と暮らしている一人の女性です。


キリストの教えに従い、まっとうに生きようと日々を過ごすジャック。
彼はある日、うっかりして事故を起こしてしまう。
車をターンさせた時横断していた父と娘たちに気が付くのが遅れ、
三人をはね、そのまま逃走してしまうのです。

家族の帰りを待つ母、クリスティーナにかかってきたのは一本の電話。
帰ってくるはずの夫と二人のかわいい娘たちが事故にあったと。
病院にかけつけるも、夫は重症、娘たちは既に命を落とした後。
懸命な治療の甲斐もなく、夫も脳死の状態になります。
すぐに臓器提供の話が持ち掛けられ、クリスティーナはそれを受け入れる。

脳死してしまった夫マイケルの心臓は、移植を待つ大学教授ポールに埋め込まれます。
健康を取り戻し、冷え切っていた夫婦仲はすこし回復。
だけど、一度入った亀裂をきれいに戻すのは難しい。
一度は夫を見限り、中絶していたことがわかって、
人工授精をするという妻メアリーを、マイケルは拒絶します。

死んでしまうからもしれないから、という理由で、メアリーは子供が欲しかった。
だけど、死んでしまうのにこどもをもうけるのですか?とマイケルは言われてしまう。

非常にシビアな、三人の運命が描かれます。

こどもと夫を失って、クリスティーナは荒れに荒れてしまう。
むかしやっていた薬を再び手に入れ、感情のままに他人に当たり、
まともに食事もとらないような生活に陥ってしまう。

一方で、罪のない家族を殺してしまったジャックも苦しみます。
現場から逃げ、妻はなんとか夫を捕まらないように偽装します。
もう収監されてほしくない。バンパーについた血を洗い流し、証拠を消し去ろうとする。
結局ジャックが犯人だとわかって逮捕されるものの、
証拠不十分で起訴はされない。
妻はほっとするものの、小さな女の子を轢いてしまった瞬間の光景が目に焼き付いて
自分の罪の深さにジャックは苦しみます。


子を持てずにきてしまったマイケル。
子供を失ってしまったクリスティーナ。
子供を殺めてしまったジャック。

マイケルは、自分に心臓を提供したのがだれなのかどうしても知りたくて、
調べ、不幸な事故について知ります。
クリスティーナに近づき、彼女の深い苦悩を知る。
二人は近づき、仲良くなるも、心臓移植について告げられ、心が乱れる。
一度は安らげると思った相手の意外な正体に、クリスティーナは激昂。
だけどやっぱり、寄り添ってくれる人の温かさは救いになる。
でもやっぱり、ただ受け入れるなんて、できなくて……。

とまあ、クリスティーナに用意された運命は本当に過酷。
マイケルも、拒絶反応が激しくなり、また移植を待つ暮らしは嫌で、
ジャックは罪の意識に苛まれ、

そして最後、クリスティーナの叫びが三人の運命を変える。
ジャックを殺してほしいとマイケルにいうのです。

銃を用意してジャックのもとへ向かうマイケル。
だけど冒頭から細切れの状態で見せられていた映像は、
血だらけになったマイケルなんだよね。
クリスティーナに抱かれ、ジャックが運転をして病院へ走っている。

それがどうしてなのか。
悲しくて、やるせないです。人生ってどうしてこうもうまくいかないのかなって。

だけど不幸のどん底にたどり着いたあとには、
上り坂が待っているものでして。
最後の最後にうっすらと希望の光がさしてきて、終わります。
物悲しいエンディングですけどね。
人がどうして生きて、どうしていろんなことが起きて、
願いがかなったりかなわなかったり、時には根こそぎ奪われて。

この作品は、人として生まれたことをまっすぐに見つめているように思いました。
バベル、BIUTIFULは、人生の不思議を見つめていて、
21グラムは人間そのものを見つめているような、そういう差を感じました。

人生って、楽しいばかりではありません。
とはいえ、ここまで苛烈な体験を私はしたことがありません。
それがいかに幸せなことなのか、思い知らされますね。

そしてどんなに辛くとも、やはり、人生は続くものだよと。
失って失って、時に得て、それもまた失って。
繰り返しながら人は生き、死んでいく。
当たり前のようで、当たり前ではない、命の不思議を、私も少し考えてみようと思います。

2016-05-23(Mon)

「バベル」

「バベル」

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品。
イニャリトゥ祭りの一環でやっていたので視聴。
2006年の作品なんだね。
三つの場所で進行する、四組の家族のドラマ。
バラバラの場所で起きた事件や日常は細い糸でつながっていて、
これが神の下した罰なのだな……と最後はしんみりする一本でした。

モロッコで旅行中のアメリカ人夫婦を
ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットが。
日本のとある親子を、役所広司と菊地凛子が演じております。

舞台はモロッコ、メキシコ、日本の三か所。

モロッコでは、旅行中のアメリカ人夫婦のうち、
妻のスーザンが狙撃される事件が発生。
この夫婦と、狙撃してしまった少年たちの家族の物語が進みます。

メキシコでは、モロッコ旅行中の二人の子供のベビーシッターである
アメリアが息子の結婚式に行き、てんやわんや。

日本では、聾唖の女子高校生千恵子の葛藤が描かれる。

リチャードとスーザンは子供を置いて旅をしていたら、
銃の試し撃ちをしていた兄弟の、弟が撃った弾に打ち抜かれ、
満足な治療も受けられず、国同士の牽制なんかもあって
すぐに手が差し伸べられずに、果たして生きて帰れるのか、
また、遊び半分で銃を扱った兄弟とその父親が
警察に追われる様子も描かれます。
一緒にバスに乗っていたほかの観光客たちとも足並みがそろわず、
リチャードもスーザンも窮地に追い込まれてしまうという流れ。

メキシコ編は、リチャードとスーザンが予定通りにもどってこられず、
本当なら休みを取れるはずだった息子の結婚式の日に、
アメリアはやむを得ず、子供たちを連れて国境を越えてしまうという流れ。
代わりに来てくれる誰かがいなくて、とにかく頼むよと押し切られ、
仕方なく最後の手段だと、二人のかわいい子供たちを連れて行っちゃうんですが、
その帰り道、少しばかり酒の入った甥に運転を頼んだばっかりに
無理な国境越えからの砂漠へ放り出され、炎天下でさまようという
非常に恐ろしい展開に。

そして一見無関係に見える日本。
聾唖の少女千恵子の、いらだちに満ちた日常が描かれます。
学校に通い、友達もいて、時にはイケイケで遊ぶ千恵子ですが、
非常にイライラしていて、心配してくれる父親へのあたりも強い。
それがなぜなのか、少しずつわかっていきますが、
ここが一番難解かもしれない。

タイトルの「バベル」は、旧約聖書に出てくるバベルの塔から。
要約すると、
人間が神に迫ろうと高い高い塔を建て、神はそれに怒ってズバーンと。
ズバーンとされた人間たちは、言葉が通じなくなってしまう。
それまでは同じ言葉を使い、同じ思想で暮らしていた人たちが、
違う言葉をもって世界へ散っていった、
みたいな内容になります。

今も世界は、違う国、違う人種、違う言語、違う風習、違う法律、違う文化で満ち溢れています。
神の下した罰は今もなお続いていて、世界が一つの理想に集約される日は来そうにありません。

この映画が言いたいのは、違う習慣、違う言葉に人々のコミュニケーションが阻害されているということ。
それから、阻害されながら、行き違いがありながらも、人々は心を通わせられるのだということだと感じました。


モロッコを舞台にしたリチャードとスーザン夫妻が見舞われる不幸は、
単純に言語や文化、国の違いによる苦労を描いております。

メキシコは、ほんの少し違った場所に生まれただけで
こんなにも扱いが違うことへの苦悩が描かれているかと思いました。
アメリカとメキシコの国境付近での争いや、取り締まり、不法な入国に関する問題は
メキシコ側の人たちからすると苦しいものなのだろうなと。
もちろん、アメリカ側の意見もわかる。けれどどう見ても、一方が上で一方が下になっている。

とんで日本では、もう少し複雑な心情が描かれております。
日本での主人公の千恵子は、聾唖でしゃべれず、イケてる女子高生になりたいのになれない。
かっこいい男の子に目をつけられても、障碍がわかった瞬間彼らは潮のように引いていく。
あ、そうですか。俺たちとは違う世界のヒトなんすね、みたいに。
それが悲しくて寂しく、悔しく、腹立たしくて、
さらには、彼女には守ってくれる父親がいるけれど、
母親は亡くしたばかりなんですよね。
しかも、自殺していなくなってしまった。

千恵子の母親が死んだ理由は語られませんでしたが、
親が自ら死を選び、残された場合、子供は傷つくと思います。
自分への愛はなかったのか。一緒に生きていってもらえなかったのか。
自分という人間の価値を大きく揺るがせる、あまりにも悲しい要素になるのではないかと思うのです。

千恵子は若い女の子らしい遊びに興じるものの、
同じ年の健康な子とまったく同じというわけにはいかず、
それにずっといらだち、悲しんでいるように見受けられました。
見た目の良さも足かせになったのかなと、思うんです。
彼女はたぶん、トモダチよりも自分の方がきれいだと感付いていて、
それなのに選ばれないという、こちらも価値観を揺らす原因になっているのかなと。
それに加えて、自分を大切にしてくれる父への愛憎もあって、
母が死んだ理由は、父が銃を持っていたからではないのかな、というのもあり、
大事にしてくれるけれど、年齢的なものもあって素直になれず、
めちゃくちゃに乱れて女になってしまいたいけれど、
父のことを思うと、そこまで堕ちてしまいたくもない、
そんな思春期の混沌が、千恵子の中に詰まって詰まって、
最後に爆発してああなったのかなあって。

最後に刑事さんに渡したメモにはなにが書かれていたのか。
あの表情からすると、彼女のさみしい胸の内だったのかなと思わなくもありません。
あんな真似をしてごめんなさい、だけど耐えられない、みたいな内容だったんじゃないかと
思ったりしました。

親子は手を取り、父は娘を抱きしめる。
お互いに妻と母を失った悲しみから立ち直る第一歩だったんだろうな、で終わり。


小難しい日本編の話ばっかりになっちゃったなあ。

結局、撃たれたスーザンはぎりぎりで助かる。
撃ってしまった少年は警察に追い詰められ、兄を失ってようやく真実を語りだす。
預かった子供と砂漠に放り出されたアメリアは、
子供たちとともになんとか助かるけれど、メキシコへ送り返されて仕事を失う。

世界にはたくさんの日常と、たくさんの事件があって、
それがすべて複雑に絡み合い、遠い世界のほんの些細な出来事が
思わぬところまで影響を及ぼしていて、
人間はそれに時には正しい心で、時には間違いながら、
命続く限り生きていくんだよとかそういう感じなのかな。

これが世界のあり方だと、監督はいいたいのかもしれません。
そう考えられない場合、この映画はちょっと長いだけの駄作になるだろうなーって
そんな風に思いました。見ていて胸が痛くなる映画でございました。