2014年の作品。
おフランスな話かと思ったら、舞台はカナダでした。
確かにカナダって英語とフランス語が公用語なんだったっけ……みたいな感じ。
25歳、ゲイの青年であるところのトムは、
恋人を失い、葬式へ出るために彼の実家へと赴く。
恋人ギヨームの実家は田舎の農場で、
彼の母親と兄が二人でひっそりと暮らしている様子。
そんな理由で赴いたトムだったけど、
「ギヨームにはサラという名の恋人がいる」ことになっていて、
母親がショックを受けないよう、恋愛関係であったことは
決して話すなよ、と兄のフランシスからまず先制パンチ。
友人代表として弔辞を頼まれるんだけど、
そこはやっぱり「恋人」だったわけで、
すっかり複雑な心境になったトムはうまく話せない。
フランシスは弔辞を読めなかったトムをなじり、
農場を手伝え、と滞在するように促す。
このアニキが非常にDVっ気たっぷりの男で、
暴力を振るう→優しくする のコンボでトムを追い詰める
というか、取り込んでいってしまうんです。
トムの方も、ギヨームの面影を感じてしまってフランシスから離れられない。
同性愛と、共依存、田舎特有の閉塞感、狭い人間関係、
差別的、閉鎖的とまあとにかく、二人はぴったりと寄り添って
どんどんどんどん息苦しくなっていくんですが。
トムはね、恋人を失った悲愴感とか、自分が認められていない、
同性愛者を受け入れてもらえない現実に少し酔ってたんじゃないかと思うんですが。
ギヨームの恋人役であるサラを、トムは呼ぶんですよ。
サラはあまり乗り気じゃないものの、負い目(借金)があって、仕方なくやってくる。
ようやく来たのか、と最初こそ優しい顔をしていた母も、
だんだんと怒りが爆発していく。
息子の死は秘密に包まれているから。
どうして死んだのか、だれといたのか、どうして恋人がすぐに来ないのか、
どうして家に帰ってこなくなったのか、なんでなんでなんで!と爆発してしまう。
母の渦巻く怒りから逃れ、三人は家を出るんですけども。
その途中でトムも現実を知らされるんです。
ギヨームがどれだけ手の早い男だったか。男だけじゃなく、女にもちょっかいを出していてね。
更に、文句を言っていたフランシスともイチャつき始めちゃうんです。
一人意気消沈してバーへ寄ると、
やっぱり田舎の店だから、どこから来たのか問われてしまう。
今はギヨームの家にいると話すと、フランシスが出禁になっていることと
その理由を聞くことになって。
それで、トムはひとりで逃げ出すんです。
洗脳が解けたような感じなんだろうな。
フランシスの声を聴きながら、必死に闇の中を逃げて、そして
もといた町へと帰っていくんだけどね。
フランシスの愛情表現は、暴力しかないんですよね。
弟のギヨームは、写真でしか出てきません。
しかも酔っぱらってサラとディープキスしてる時のしかない。
トムが見ていた愛する人ではなかったギヨームと、
暴力でしか人と繋がれないフランシス、
という姿が透けて見えるように思いました。
一人で立つ勇気はないから、母親のもとで暮らしているけど、それは不満で、
弟の恋人には暴力を振るう。だってとても人には言えない存在であるところの
同性愛者なんだから。みたいな風に受け取れました。
だけど俺様は優しいから許してやるよ、というのがフランシスのスタイル。
甘い、優しい言葉と暴力で相手を支配し、自分の下に置く。
そういう相手がいないとダメな男なんでしょう。
そんな男に、一瞬でも愛情めいたものを感じてしまった自分に、
トムはすっかり嫌になってしまったようでした。
フランシスに告げた通り、「うんざり」だったんでしょうね。
恋人なんだと名乗りでることも出来ず、
だけど親友としてふるまうことも出来ず、
母親を悲しませてしまった、ギヨームに報いることができなかった、
そんな後悔に縛られていたけれど、だけど現実を見てみれば
案外大切にされてなかった自分がいて……。
みたいな。
最後の歌もちょっと意味深で、というか、
ラストでフランシスがとんでもない服を着ていて、
その辺の意味合いも込められているのかなと思いましたが、
そんなのはオマケに過ぎない、
人間の悲しい性をよく描いた映画であることだなあと感心いたしました……。
最初は、なんでこんなタイトルにしたのかなと思ったんだけど、
これはきっと、あえて、なんでしょうね。
監督がまだ25歳だとかでちょっとビックリしちゃった。
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