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2016-06-02(Thu)

「トム・アット・ザ・ファーム」

トム・アット・ザ・ファーム

2014年の作品。
おフランスな話かと思ったら、舞台はカナダでした。
確かにカナダって英語とフランス語が公用語なんだったっけ……みたいな感じ。

25歳、ゲイの青年であるところのトムは、
恋人を失い、葬式へ出るために彼の実家へと赴く。
恋人ギヨームの実家は田舎の農場で、
彼の母親と兄が二人でひっそりと暮らしている様子。

そんな理由で赴いたトムだったけど、
「ギヨームにはサラという名の恋人がいる」ことになっていて、
母親がショックを受けないよう、恋愛関係であったことは
決して話すなよ、と兄のフランシスからまず先制パンチ。
友人代表として弔辞を頼まれるんだけど、
そこはやっぱり「恋人」だったわけで、
すっかり複雑な心境になったトムはうまく話せない。

フランシスは弔辞を読めなかったトムをなじり、
農場を手伝え、と滞在するように促す。
このアニキが非常にDVっ気たっぷりの男で、
暴力を振るう→優しくする のコンボでトムを追い詰める
というか、取り込んでいってしまうんです。
トムの方も、ギヨームの面影を感じてしまってフランシスから離れられない。
同性愛と、共依存、田舎特有の閉塞感、狭い人間関係、
差別的、閉鎖的とまあとにかく、二人はぴったりと寄り添って
どんどんどんどん息苦しくなっていくんですが。

トムはね、恋人を失った悲愴感とか、自分が認められていない、
同性愛者を受け入れてもらえない現実に少し酔ってたんじゃないかと思うんですが。

ギヨームの恋人役であるサラを、トムは呼ぶんですよ。
サラはあまり乗り気じゃないものの、負い目(借金)があって、仕方なくやってくる。
ようやく来たのか、と最初こそ優しい顔をしていた母も、
だんだんと怒りが爆発していく。
息子の死は秘密に包まれているから。
どうして死んだのか、だれといたのか、どうして恋人がすぐに来ないのか、
どうして家に帰ってこなくなったのか、なんでなんでなんで!と爆発してしまう。

母の渦巻く怒りから逃れ、三人は家を出るんですけども。
その途中でトムも現実を知らされるんです。
ギヨームがどれだけ手の早い男だったか。男だけじゃなく、女にもちょっかいを出していてね。
更に、文句を言っていたフランシスともイチャつき始めちゃうんです。

一人意気消沈してバーへ寄ると、
やっぱり田舎の店だから、どこから来たのか問われてしまう。
今はギヨームの家にいると話すと、フランシスが出禁になっていることと
その理由を聞くことになって。

それで、トムはひとりで逃げ出すんです。
洗脳が解けたような感じなんだろうな。

フランシスの声を聴きながら、必死に闇の中を逃げて、そして
もといた町へと帰っていくんだけどね。

フランシスの愛情表現は、暴力しかないんですよね。
弟のギヨームは、写真でしか出てきません。
しかも酔っぱらってサラとディープキスしてる時のしかない。

トムが見ていた愛する人ではなかったギヨームと、
暴力でしか人と繋がれないフランシス、
という姿が透けて見えるように思いました。
一人で立つ勇気はないから、母親のもとで暮らしているけど、それは不満で、
弟の恋人には暴力を振るう。だってとても人には言えない存在であるところの
同性愛者なんだから。みたいな風に受け取れました。

だけど俺様は優しいから許してやるよ、というのがフランシスのスタイル。
甘い、優しい言葉と暴力で相手を支配し、自分の下に置く。
そういう相手がいないとダメな男なんでしょう。

そんな男に、一瞬でも愛情めいたものを感じてしまった自分に、
トムはすっかり嫌になってしまったようでした。
フランシスに告げた通り、「うんざり」だったんでしょうね。
恋人なんだと名乗りでることも出来ず、
だけど親友としてふるまうことも出来ず、
母親を悲しませてしまった、ギヨームに報いることができなかった、
そんな後悔に縛られていたけれど、だけど現実を見てみれば
案外大切にされてなかった自分がいて……。

みたいな。
最後の歌もちょっと意味深で、というか、
ラストでフランシスがとんでもない服を着ていて、
その辺の意味合いも込められているのかなと思いましたが、
そんなのはオマケに過ぎない、
人間の悲しい性をよく描いた映画であることだなあと感心いたしました……。

最初は、なんでこんなタイトルにしたのかなと思ったんだけど、
これはきっと、あえて、なんでしょうね。


監督がまだ25歳だとかでちょっとビックリしちゃった。
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2016-02-12(Fri)

「マキシマム・ブラッド」

マキシマム・ブラッド

2014年カナダ制作。主演はジャン=クロード・ヴァン・ダム。
いやー……なんだかいいものを見たなーって気分です。
先に大きな感想を書いておきたい気分になる一本でした。


原題は「POUND OF FLESH」で、「ひどい要求」という意味。
まったくもってその通りですねってタイトルでして。

舞台はフィリピンの首都マニラ。
主人公のディーコンが目を覚ますと、なぜだか氷を張った風呂の中にいた。
真っ赤にそまったバスタブとベッド。部屋に置かれた薬と大金、手紙などなど。
これはなにごとかと思いきや、背中には大きな傷が。

町で男に暴力を振るわれていた女性を助け、ベッドイン……
からの記憶をたどり、鏡を見てビックリ。
なんと腎臓が一個とられちゃってる!

実はこの腎臓、移植しなければもう余命いくばくもない姪っ子に譲る予定だったもの。
姪っ子の父親である弟のジョージと一緒に、自分の腎臓を勝手にとっていった誰かを探しに夜の街に飛び込んでいく……という話です。

アクション!って話じゃあないんだよね。
主人公のディーコンは強いし、敵は手段を選ばない連中だし、死人もぞろぞろ出るんだけど。

いきなり腎臓とられているという理由が明かされていくにつれ、なるほどそういう話だったのか……と。

ディーコンとジョージの兄弟の距離感は、かつて同じ女性を愛したから。
姪のドナーになれた理由や、兄弟二人の信念の差など、
アクションもいいんだけどね!
ディーコンは腎臓とられたてホヤホヤの体で、ぜえぜえいいながら頑張るのですが、そのぜえぜえも最後にきれいに昇華されており、ああ、こういう兄弟間の確執や考えの違い、愛した女性への思い、贖罪と許し……がメインでした。

最後の展開がね、ものすごく無情なんです。タイトル通りなんです。
娘のためにって、信念を曲げた弟ジョージと。
最後の最後の一線だけは守ったディーコンと。

漢の世界、って感じで。いいものみたなーって気分です。

ど派手ではないんですけども。
アクションをみたいんだよ!って人には多分物足りないと思いますが、ナイスミドル作品として捉えればかなりのいい作品ではないでしょうか。

ラストシーンも美しくて良かったな。ああ、そうやって並べてあげるのな……って。
いい作品でございました。

2014-06-09(Mon)

「ディフェンドー」

今朝観た映画「ディフェンドー」。

突然思い立ってヒーローになるド素人4本目です。

主人公の属性は同じでも、
描かれる物語は違うものだなあと。

キック・アスは冴えない自分を変えたい若人。
ミラージュは自分と家族を傷つけた悪に立ち向かいたい男。
SUPERは、神の天啓を受けて妻奪還のために立ち上がる冴えない中年。

ディフェンドーは「うがー!悪の総帥倒すー!」。

それぞれ、コスチュームはみんな大体自作でダサく
あんまり強くない(ミラージュマンはすげー強い)。
割と気分に流されてしてやられたりと
素人丸出し系のヒーローなんだけど、
この中で一番ピュアなのがディフェンドーだった。

母を失い、孤独な中生きてきた男が、
友人を得て立ち上がり、
最終的にはみんなの心の中に刻まれたっていう。

不思議とアメリカを感じない空気。
ファンタジックというか、
街にはびこる悪、潜入捜査、売春婦、麻薬と
暗黒街丸出しの小道具が揃っているのに
メルヘンというか、童話的ないい話に仕上がってる。

好きか嫌いかでいうと、嫌いw
でもこれに感動して泣く人は、とてもいい人だと思う。

いや、なんか、いかにも「感動モノ」っていうアイテム揃えすぎで
思惑が透けて見えるというか。

直前に「SUPER」みてたせいでカラくなってるのかもしれない。
SUPERは本当にすごかった。ズシンと来た。